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概要

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L半数だも就学するを得ず教育上実に寒心に堪へざるものあり。此の情勢は県の北部を特に然りとす。吾人は高鍋地方を其新設地として最適当なりと信じ、ハムに私に中学校の設立を唱導したりしも未だ其実現を見る能わざるを甚だ遺憾とせり。県当局亦放に見る所あり大正十二年度より児湯郡内に中学校を新設せんとす、之れ実に吾人の意を得たるものなり。然るに聞く所に依れば其位置や吾人の意志に反するものL如し。抑も中学校は児湯郡内に設置すと雌も広く県内の子弟を教養せんとするものなるを以て、一般県民に利便にして且つ最適当の地を選定せざるべからず。高鍋地方は交通の便益と教育の歴史を有し郡内文化の中心たるは世人の認むる所なり。今新に中学校を設けんとするに当り若し県当局にして感情に流れ情実に泥み教育の真正を無視し此の地を措いて他に選ばんとするが如き事あらば吾人は大いに反対せざるを得ず。放に児湯郡七ケ町村民大会を聞き其態度を闇明し協心数力以て宿望の達成を期するものなり。大正十一年十一月二十四日東部七ケ町村民大会大会の翌日、十一月二十五日には東部各町村の代表数十名、県庁に前田内務部長を訪問、中学校設立の位置について陳情を行った。県は高鍋に中学校を設立する代わりに高鍋農学校を妻に移すという話を持ち出したこともあったが、この案は西部八町村の住民を激怒させる学校教育ばかりか高鍋農学校の反対もあって立ち消えとなった。かくて中学誘致しれつ運動は蛾烈を極めたが、結果的には県議江藤定吉らを中核とする西児湯八か町村の運動が功を奏する。江藤県議らの提示した案は「妻中学の建設に当たり郡が負担する建設寄付金は西部八箇町村で酸出する。加えて共有する郡有林の持分権を東部七箇町村に譲渡する。その山林を基金に第l章私立中学を設立する」との構想で県当局ならびに県議会に働きかけた。大正十一年オ二月二十日の県議会最終日に東部、西部の両地区民の見守る中で県立妻中学の設置が議決された。明治期の中学設置不達成に続いて高鍋は再び苦杯を喫することになった。教育文化の中心として歴史と伝統を持つ高鍋に今回こそ当然、県立中学が設立されるものと期待したのに、この結末は大きな衝撃であった。私立高鍋中待望の県立中学設立を実現できなかった高鍋上江両町学校の開校村の有志は文教の地の面白にかけても独力で中学建設の議を起こし直ちに活動を開始した。大正十二年(一九二三)一月十日、東部七か町村代表による中学校設立委員会が聞かれ、学校設立を決議し、設立の主体となる財団法人高鍋中学校を設け、そのための規則、事務所などを決定、次の役員を選任した。名誉総裁事務長種英秋月了J岡山フロ副事務長各町村連絡委員長止八dA1原I日橋左都夫正勝日召滞局顧鞠問雄堤長発月財団の事務所は高鍋町大字北高鍋一、二七O番地(道具小路〉水町元宅に置くこととなった。なお中学校設立のため寄付金二五万円を五年間に募ることが決まった。同年二月十五日、中学設立の認可申請を文部大臣に提出、=一月二十三日認可を受け同時に財団法人の許可もあった。こうして四月十五日、私立高鍋中学校は開校式を挙げる。これより前、三月末に入学試験が行われ、合格者一O二名が決定した。それに「学監」を引き受けた勝浦鞠雄も二月十五日、東京から高鍋に到903