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概要

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教育と文化トヲ得ベクンパ、三百年来教育的歴史ヲ有スル高鍋上江方面ガ其選-一当ルベキヲ信ジ且ツ切一一希望スル所ナリ。因テ吾人ハ抜一一平素ノ熱心ヲ表シ其実現ヲ得ベク大一一努力セザルベカラズ。是レ本会ヲ組織セシ所以ナリ。大正十一年三月第7編日県立高鍋中学校建設速成同盟会同年十一月二十六日の宮崎新報は次のように報道している。「児湯郡に於ける中学新設の問題は過般来桑原郡長の調停に依り一時円満に進捗せんとする形勢を見せ東部側の主立ちたる有志等は郡長の妥協案に略ぼ同意を与えたのであったが東部側の一般町村民が之を承服せず為めに形勢再び悪化の兆を示めし一方県当局が愈々西部側妻町に新中学を設立するに同意を与え近く今期県会に提案する模様ありとの飛報は一層東部側の人心を充奮激越せしむるに至り爾来高鍋を中心として高鍋中学速成同盟会なるものを起し妻中学新設に反対の気勢を挙ぐるに至った。斯る形勢になっては東部側の調停委員会も人心緩和の為めに殆ど余地無きに至り遂に此の程総辞職したので桑原郡長の妥協案に対する東部委員よりの回答期が去る十七日の筈であったけれども右の回答は前記の通り委員会の瓦壊に依りて遂に不可能となり、畢寛郡長の妥協は根本から無効に終るの事態に迄押し詰った。然るに高鍋中学速成同盟会に於ては其後『高鍋中学速成賛成』と赤色に印刷したるチラシを東部七ケ村の民家に貼出さしめたり或は又中学建設の宣伝歌を作製し青年連をして之をバイオリンに合奏せしめつL自動車に依り各町村を巡回せしむる等其運動頗る秩序立って大々的に着手されて行ったが其結果遂に一昨二十四日(大正十一年十一月)午前十時より高鍋町小払慌に於て児湯郡東部七ケ町村民大会を開催して西部郡民に対する凄じい挑戦の叫びを挙ぐるに至ったのである。当日右大会に参加したる町村は、高鍋町、上江村、都農町、川南村、美々津町、木城村、富田村の七ケ町村民約三千五百名に達した。廊廓は小丸積に設けられて会場には四方に小国旗を吊し或は五彩の旗を立て連ねて万般の準備が遺憾なく整えられた。各町村からは予め各消防組、郡町村会議員外『一名以上宛出席すベし』との達しで狩出されたので消防夫あり青年会員あり老人あり、中には婦人連も少く無かった。就中高鍋町の婦人会が中心となり会場の一隅に湯飲み場さへ設けて大会出席者の為めに大に斡旋していたのは特に自に立った。膿て各町村民の出揃を待ち畑火の合図に依り午前十一時漸く開会、河野郡会議長開会を宣し次で原高鍋町長、大会開会の趣旨を述べ之に引続き演説に移った。最初に壇上の人となったのは加藤誠助氏『戦闘の第一声』と題し冒頭、今や児湯郡中学問題は微温的妥協破れ遂に熱烈なる戦闘が開始せらるるに至ったと叫び今後東部郡民の進むべき途は瓦全主義よりも玉砕主義であると高鍋中学建設の為めに努力猛進すべきを説」(中略〉いた。このあと次々に演説があり「大いに気勢を上げたが右大会が午後二時閉会すると共に旗行列に移り先づ高鍋町の大通から郡役所に至り万歳を三唱し最後に蚊口の駅迄行き夕刻解散した。」なお当日の大会で次の決議と宣言が朗読発表された。902決議新に設立せらるべき県立中学校の位置は高鍋を以て最適当なりと認め其実現を期す由民一一号一口教育を振興するは人生の根本義にして世界の大勢なり。此の大勢に従ふものは盛んに逆ふものは衰ふ宜なる哉。我国上下教育の普及に焦慮するや我宮崎県に於ては夙に中学校の不足を来し志あるもの