ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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収め得たり。」以上の記事にも見られるように掘の内から蚊口の海浜一帯を利用した林間学校で画期的な試みであった。松林の下で読書し、図画工作に励み、唱歌遊戯、体操水泳と教師の工夫した計画に従い林間教室が聞かれたので占める。健康と体力の増強は教育の重要課題である。学校経営の方針の中に「身体ノ鍛錬気力ノ養成ニツキテハ特-一意ヲ用ヒ武道ヲ開始」「体力ノ増進ヲ期シ体育実施案ヲ定メ」などの表現が高鍋小の沿革誌に記され、上江小でも「大正四年十一月三日小丸川原ニ於テ児湯郡連合大運動会ヲ開催シ競技及体操ニ於テ無事優勝」「体操科の振興を図るべく大正十年一月追加予算として体操器具購入費金五百円を決議」など挙げればきりがない。尾鈴・上面木登山も身心の鍛錬を目指した行事で高等科の生徒に課せられた。大正七年十二月発行の高鍋郷友会報告に高等科一年生には上面木に高等科二年生および補習科生徒には尾鈴山に登山を実施したとして次の報告を載せている。尾鈴・上面木登山高鍋小学校生徒の登山わらじきやはん十月二十二日午前六時高等科一年生六十三名、草経脚紳の軽装に、毛布を巻きたる背嚢を着けて学校に集合、校長の訓辞を受け、五名の教師に引率せられ雀躍して出発す。高城川を渡り尾彦山麓に到学校教育る。坂路約二十町、午前十時半頂上に達し日子神社を拝す。高鍋上江木城川南各村は固より日向洋も限下にあり眺望に時を移し、午後一時過山を下り三時半石河内に着す。西南二十町余に妙見滝あり、第1章観賞して帰り宿舎の石河内小学校に入りしは五時過なりき。淳朴なる村民の深切なる世話を受け、一夜を感謝に暮して翌朝五時起床、用意を整へ七時半、かねての約に従ひ石河内小学校の児童職員に導かれて出発、頂上まで凡そ一里半なりといふ。初は細き路ありしも進むにつれて路らしきものもなく、岩石を挙ぢて登る。流汗衣を濡し漸くにして山崩に達す。時正に十二時、握飯を含みながら昨を放てば、昨日の尾彦は脚下に臥し、遠く穏北宮崎の平野を望む。午後二時を過ぎ一同万歳を三唱して石河内小学校の諸友と狭を分ち、東方に下ること二里余、都農高城聞の街道に出づ。高鍋に着せしは日没の頃なりき。高等科二年生三十八名、補習科生五名は十月二十日午前九時校庭に集合、万端の用意を整へ校長の訓辞を受け、七名の教師に導かれ各毛布一枚白米一升を携へて出発す。午後二時都農を経て八時木和田小学校に着し同校に宿泊す。翌朝六時列を整へて校庭を出づれば直ちに山路にかLる。登ること数百尺、美々津都農の海岸より川南の平野高鍋の盆地一昨の下に集る。此峰の頂に尾鈴神社の拝殴あり。之より一たび渓谷に下り、官営製材所の辺より名貫川の上流に沿ひて進む。山阿水披佳景の送迎を受け、岩角を伝ひ樹根を挙ぢ山気森々たる蒼苔を踏み、木蔭昼暗き密林を穿ち、矢筈岳の頂を脚下に下敵して登れば、少頃にして山願に達す。時に午後一時、先づ尾鈴神社を拝し四方を望まんとすれば樹林に遮られて展望すべからず。各自樹梢に挙ぢ遠く眺むるに四方連峰の外は三面とも雲に鎖され、殆ど天之浮橋に立てるの想あり。折角の登臨に展望を遂げ得,さること恨み骨髄に徹する感あれど亦如何ともなす能はず。時既に二時乃ち万歳を三唱して下山の途に就く。数十歩駈け降りては立木に抱き付きて身を支へ互に相呼応しつL遊戯にても行ふ如くして下るに、登りには二時間余を要したる険道を糠に二十分許にして製材所に達せ893