ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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その後四十一年三月末、定員一二O名の畜産科が併置される。同校沿革誌に次の記録がある。是ヨリ先本校ハ現在ノ農科-一対シ畜産科ヲ置キ甲種程度修業年限三ヶ年トシ以テ将来畜産業一従事セントスル者一一適切ナル教育ヲ施サントス。更ニ現在農科第三年級ヲ第一部第二部二分チ、第一部ニ於テハ従来農科ノ程度一一依リテ教育シ第二部一一於一アハ特一一蚕業ニ関スル学科及ビ実習ヲ多ク課シ将来蚕業ニ従事セントスル者ニ適切ナル教育ヲ施サント欲シ、学則変更ノ件ヲ其ノ筋ニ申請ノ処四十一年三月三十日ヲ以テ文部大臣牧野伸顕ヨリ認可セラル。畜産科といい養蚕の課程といい、いずれも児湯地域の要望に対処するものであった。日露戦争後の財政事情の困難などで校舎の改築が遅れていたが四十年学校教育第1章になると通常郡会で改築の件が議定され、翌四十一年四月、木造二階建て四八四坪の校舎改築工事が認可された。しか郡立農業学校本館し改築校舎の上棟式をしたのは四十二年四月でしゅん工務成式は同年十一月十二日であった。校旗制定、学校敷地の増加など整備の進む中で四十三年六月には農商務省指令第八、五O四号により畜産科卒業生に無試験で獣医開業免許状、蹄鉄工開業免許状下付の認可があった。四十四年九月二十二日、両陛下の御真影が下賜された。宮崎県政八十年史には明治四十年の県治概要によって当時のことを「卒業生ヲ出スコト六七名トス。実習地反別六反七畝九歩、畑反別八反三畝二ニ歩ヲ有シ、生徒一般ニ質朴ニシテ実習ヲ喜ブヲ以テ成績佳良ナリ。其ノ他教授訓練ノ方法克グ整備セリ」と述べている。児湯郡教育会様誌(第七号)によって明治四十三年度の状況を次に記す(一部省略〉。校舎改築後に於ける総坪数千七十三坪八合にして其重なるもの左の如し。イ教室ハ教員室等-設備九五坪四O坪六七坪一四八坪五合ホ廊下二ハ三坪五合一五七坪ト薬局紘一寸二三九坪六合一五六坪二合敷地は数回増加し甚だしき不足を感ぜざるに至れり。而して目下の反別一町四反三畝二十歩にして細別すれば内、七反七畝二十八歩HH郡有地、六反五畝二十二歩HH借地。2職員現今十三名の教員と外に撃剣教師一名校医一名あり、之を教授別に記すれば左の如し。ロ講堂一一寄宿舎へ標本室等チ玄国企思寺助教諭計五嘱託教授書言己校長教ヨι耐JIJ備考校長の外教諭中奏任待遇者二人あり3生徒農科三学級畜産科三学級六学級にして之を出身地及学年別887