ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化第一7編の建物を増築する。運動場は北側の道路を狭んでその北側に設けであった。二十三年一月蚊浦小学校を廃止し高鍋小学校に統合したため校舎が狭くなったので二階建て一棟の増築工事を起こし同年十月六日に落成した。この二階建ては後年、菖蒲池の高鍋小学校、第三棟東端に移築したが、高鍋女学校、高鍋中学校の開校当時の仮校舎となり、町立図書館ともなって本町教育史のうえに思い出の多い建物であった。明治二十二年四月、町村制が施行され、同年五月から従来の高鍋町と北高鍋、南高鍋、蚊口浦三村を統合して高鍋村となり、上江、持田両村を合わせて上江村となった。東小沿革誌に高鍋小学校について「明治二十五年高鍋村上江村組合小学校トナリ、之ト岡崎ニ持田清水市ノ山永谷ノ各小学校モ両村ノ組合トナレリ」とあり、また翌年六月に高鍋尋常高高鍋小学校(高月〉の教室(山名紫川日誌〕等小学校と改称したことが記されている。高鍋小学校の生徒数増加に伴って尋常科と高等科を分断する意見が起こる。日清戦争の終わるころである。児湯郡役所の使用している旧明倫堂跡の家屋を返却してもらい、ここに高等科を移そうというのである。880「児湯郡役所ハ是迄旧明倫堂跡ノ家屋ヲ借入レ居タリシ処高鍋小学校ノ生徒七百ノ多数一一及、ヒ従テ右家屋ヲ返却シ同小学校-一充ツルノ必要ヲ生ジタルニ什今般郡街ヲ新築スルコト、ナリ」(古同鍋郷友会報告)上江村島問、旧藩籾蔵跡一反六畝余を買い入れ庁舎を新築して、二十八年四月ここへ移転した。一方高鍋上江両村学校組合会議は二十八年九月、高月の高鍋尋常高等小学校の両科を分離し、尋常小学は現状のまま高月に存置し高等小学は高鍋学校のある島田に移すことを議決している。しかしこれは事後承認の議決だったようで、高等科は郡役所が四月新庁舎に移転した直後に島田の校舎に移っている。「郡役所新築落成去月(四月〉上旬-一於テ移転シタレバ高等小学ハ高月ノ校舎ヨリ分離シテ郡役所跡へ移転セリ」という記事が高鍋郷友会報告(二十八年五月号)に出ている。こうして高月の尋常小学は高鍋上江両村学校組合で維持し、島田の高等小学は高鍋学校とともに東児湯七か村の連合組合で維持することとなった。同時に校長も二人となり尋常科は井上徹、高等科は新名八十八が就任した。この年の三月末に高鍋小学校では修学旅行を実施した。有志生徒七O名で延岡まで三泊四日の徒歩の旅であった。尋常利と高等科が分離したため高等科一年生は各村から続々入学の申し込みがあり、一OO名を超えるようになり、甲乙両組に分けて授業しなければならぬ状況であった。当時の生徒数は別表の通りである。受験人は進級試験に応じた人数であり、合格は進級者、不合格は不進級者