ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化四年生は上江小学校に併合となったが、学校の校舎で学業を続けたのであった。一、二年は旧清水小たためコ一、教育勅語と御真影明治二十二年(一八八九〉二月十一日、大日本帝国憲法が発布になり、これに基づいて我が国第7編の政治も、したがって教育行政も行われることとなった。二十三年十月には小学校令(勅令第二一五号)が公布され我が国小学校制度の基礎が固められた。その後小学校は順調に普及し教育内容も充実していったが同三十三年八月小学校令の全面改定が行われ、三年制の尋常小学校を廃止し四年制に統一した。この重大な改革によって四年制の義務教育が確立した。こうした教育制度の整備の中で重要な事項の一つは天皇・皇后両陛下の御真影が各学校に下付されたことである。二十二年十二月文部省は天皇・皇后の御真影を全国の高等小学校へも下付する旨府県へ通知した。従来は府県立学校のみであったのを拡充したのである。高鍋小学校の御真影拝戴式は二十コ一年七月十八日で、県古公文書に次の記録がある。「今般高鍋小学校ニ両陛下ノ御真影下賜相成候ニ付去十八日拝戴式執行仕候其状況左ノ如シ。郡長警察署長警部巡査郡村吏本校教員生徒村会議員高鍋学校其他近傍小学校教員生徒途中迄奉迎シ先頭ニ国旗ヲ掲ゲ村長先導本校生徒及巡査ハ其前後ヲ奉護シ郡長以下供奉シ帰校予テ装飾セシ卓上ニ奉安ス。当日校内ニハ一大緑門ヲ設ヶ国旗ヲ交叉シ着校ノトキ祝砲ヲ発ス。市シテ号鐘一一テ秋月元老院議官同夫人及奉迎者着席一同立礼次ニ唱歌次一一郡長告詞続テ首坐教員ハ生徒-一向テ御真影下賜ノ主意ヲ述べ次-二同御影前-一整列シテ敬礼ヲ行ヒ次ニ唱歌次一一教員生徒ノ祝詞秋月議官ノ演説次一二同立礼次-一参列者順次御真影ヲ拝シテ匂」ドレ内向7 AJ退久(此間奏楽)本日各戸国旗ヲ掲ゲ村民途上-一拝観居従シテ庭前一一参集ス。依テ式ヲ了ルノ後衆庶ヲシテ参拝セシメ候処順次御影前一一敬礼退散候」これは御真影拝戴式の後、七月二十二日に児湯郡長黒水長憧から県知事に提出した報告文書で当時の状況を知ることができる。明治二十年前後に我が国の近代学校制度が逐次整備されたことは既に触れたが、当時徳育の方針について意見の対立があり、「徳育の混乱」と称する状況を現出し、徳育の根本方針を文教の府で確立せよとの要望が強くなった。こうした情勢の中で明治二十三年(一八九O〉十月三十日「教育ニ関スル勅語」が発布され、徳育論争に終止符を打つとともに以後、国民道徳および国民教育の根本理念として重要な役割を果たすこ878とになる。教育一一関スル勅語ちんおもわこうそこうそうくにはじこうえんとくたしんこう朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠一一徳ヲ樹ツルコト深厚ナわしんみんよちゅうよこうお〈ちょうζころいつよLそぴなリ我カ臣民克ク忠-一克ク孝-一億兆心ヲ一ニシテ世々厭ノ美ヲ済セルこわこ〈たいせいかきょういくえんげんまたじっここそんなんじしんみんふぽハ此レ我カ国体ノ精華-一シテ教育ノ淵源亦実ニ此一一存ス爾臣民父母けいていゅうふうふあいわほうゅうあいしんきょうけんおのじは〈あいしゅうおよニ孝ニ兄弟一一友一一夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆一一及が〈おさぎようならもっちのうけLはっとくきじようじゅすすんこうえきひるホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広せいむひらつねこくけんおもんこくほう4したがいったんかんきゅうぎゅうこうほうメ世務ヲ開キ常一一国憲ヲ重シ国法一一遵ヒ一E緩急アレハ義勇公一一奉もってんじようむきゅうこううん『ふよくかくごとひとちんちゅうりょうしんみんシ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民またもつなんじそせんいふうけんしようたタルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スル-一足ランみちじっわζうそこうそうい〈んしそんしんみんともじゅんしゅ斯ノ道ハ実-一我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキところこれここんつうあやまこれちゅうがいほどこもとちんなんじしんみんとも所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外-一施シテ惇ラス朕爾臣民ト倶-一けんけんふ〈ょうみなそのとくいっこいねが拳々服腐シテ威其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フめいじねんがつにち明治二十三年十月三十日