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概要

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"教育と文化第7編上通弁学校農業学校工業学校商業学校岡同開凶ιム4寸寺中校(女児小学)(村落小学)(貧人小学)(小学私塾)一一一ー一一ーーー尋一一ー常一一小ー一ー学ーー一一一一一一一ー尚一J中学区を一O八の小学区に分け、男女六OO人をもって小学区とすることにした。美々津・都城両県に三五六の小学校を設立することにしたのである。842(幼稚小学)小学について学制は「小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ズ学パズンバアルベカラザルモノトス」と規定し、尋常小学、女児小学、村落小学、貧人小学、小学私塾、幼稚小学の区分を挙げている。高鍋の場合はこれらの区分のうち、尋常小学、村落小学が設立を見ることになる。尋常小学は六歳から九歳までの下等小学と一O歳から一三歳までの上等小学に分ける。四年ずつ合わせて八年制で「此二等ハ男女必ズ卒業スベキモノ」とした。中学は小学を卒業した生徒に普通の学科を教える所とし、小学同様上下二等に分けた。小中学の教科や大学のことについては省略するが、明治政府が当初から最も力を注いだのは教育であり特に小学校教育であった。明治元年十二月、木戸孝允が朝廷に提出した建言書にも「全国に学校を振興し大に教育を被為布候儀、則今日之一大急務と奉存候」とあり、同二年二月、政府が各府県に出した「府県施政順序」中にも「小学ヲ設ル事」を挙げている。更に同五年、文部省が学制着手の順序を述べた文書にはその官頭に「厚ク力ヲ小学校ニ可用事」が挙げられている。近代日本のあけぼのにJ \J明治6年(学待1)百年史〕寺下学校系統図年齢学年本県は当時、美々津・都城の二県となっていたので大学本部を長崎県に置く第六大学区に所属した。しかし明治六年四月十日に学区改正があり、八大学区が七大学区に改められたため本県は第五大学区となった。中学区は第二五番、第二六番、第二七番の三中学区であった。第二五番中学区を一O六の小学区、第二六番中学区を一四二の小学区、第二七番