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概要

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明治十六年三月十一日学力試験表50 40 90 40 70二土i t。5ヨ。講95 95 100 100 100 100義主主望無失弱強日虫暗110 80 100 100 90 120言己f乍56 56 68 80 56 80文τ手コr30 50 30 60 30 60 r十~極341 321 388 380 346 460占成四八七O占席欠ー席欠安=にとヨ本ネrp回津将H松惣野庄代村江嘉之数次4a馬j゚寿栄広太良日士EkI寛保虫日学校教育決定されているらしく得点が高くても順位が下位になったりその逆もある。点数のそばにO強弱無失などの注記がある。教科も明確でないが国語などであろう。数学そのほかについても同じような表を作成したのか資料は残っていない。学力を評価し反省の資料ともして学力の充実を図ったのであろう。第1章高鍋学校の資料の一つに文集がある。秋月種樹が指導した作文集に武藤麟一がほかの関係文書を加えて編集したものである。「文集」の表題下に「高鍋学校試業作文詩文集巻一」と記す。内容は種樹の試業作文序と、それに添えた城勇雄の文、耐忍力の説と題した作文八編(八名各一編)それに「高鍋中学ヲ振フノ種樹と作文集策(田村化三郎)」「高鍋学校開業祝詞(和木貞どから成っている。種樹の試業作文序末尾に「明治十六年十一月従四位秋月種樹撰弁書」とある。明治十五年、官を辞して高鍋へ帰り城跡の千歳亭に居住した。このとき恐らく城勇雄らの懇請があって、高鍋学校生徒の指導を引き受けることになったのであろう。漢文で記されたこの序文の初めにそれが述べられている。担当は「初等第二級生徒八名」とあるから高鍋中学二年生(現高校一年生)で史学、修身、文学、作文の四学科を教授した。さきに引用した安田尚義の文にもあったように、明治天皇の師をも勤めた学徳優れ、令名高い旧藩主から教えを受けた青年たちゃ学校関係者の感激は深大なものがあったと推察される。城勇雄の同じく漢文で添えた小文の中に、種樹から優等者に直筆の賞が渡ると本人はもとよりその家族一しんせきしゆこう同更に親戚知人まで光栄を喜び祝し、あるいは祝宴を催し酒肴を贈りなどしたことが記されている。こうしたことも高鍋ならではのことのように思われる。次にこの文集の最初の部分を挙げる。高鍋学校試業作文秋月種樹編輯耐忍力ノ説葵未十一月七日席上作水町熊太十八年六ヶ月忍耐トハ如何回持久ナリ、人持久スレパ何事ヲ為スモ成ラザルナシ、持久セザレパ何事ヲ為スモ成ラズ、其例ヲ挙ゲンニ彼ノ米人ナハ電気ノ功用ヲ発明(以下略)ル「フランクリン」これらの作文のほかに「宿題」に書いた田村化三郎の「高鍋中学ヲ振フノ策」と題する作文があり、高鍋中学が漢学には優れた教師を持ちながら「洋学算学」の面に欠けるところのあることを歎き洋学和学算学なしようへいどいずれにも良教師を招轄すべき必要のあることを痛論している。組合873