ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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国家庭で学用品の購入に苦労したことに対する措置であったが、具体的なことは知られていない。上江村育英会は大正三年(一九一四)九月に創立された。上江小学校長鈴木二男(後に重次と改名)の提案によるもので、同校沿革誌に「本村内に人材を養成するため上江村育英会を創立し、三年九月より会費を徴収す。会員百余名、毎月会費五銭、但し一ヶ年前納の時は金五十五銭」とある。いつまで続いたのか、事業内容などの記録が残存しないために明らかでない。大正十年(一九二一)十二月十五日、児湯郡長中馬太平次のもとで児湯郡教育奨励資金が設置された。「広く郡内の人材を養成し将来郡勢の発展に寄与せしむるは緊要の事に属するを以て従来設置せし積立金を基本として引続き毎年之を蓄積して教育資金となし、其利息を運用して有望の学生に貸付し以て人材養成の目的を達成せしむるの必要を認めたるに依るものなり。」との設置趣旨で目標額は三万円であった(児湯郡郷土誌)。高等専門学校の学生生徒を対象としたが「場合に依りては中等学校生徒にも貸付す」ることになっていた。高鍋町育英会は昭和四十一年(一九六六)十一月二十九日神代勝忠町長、小椋美義教育長等を中心に発起人会を聞き、創立の計画が進められ、学校教育翌年三月一日をもって発足した。同会会則の第三条に「この会は高鍋町に居住する者の子弟で向学心旺盛なるも資力に乏しく進学困難なるものに学資の貸与をなし教養豊かな人材を育成することを目的とする」と規定し、第四条に次の事業を行うとしている。奨学金の貸与1第1章2奨学金の調達基本財産の造成3貸与金の回収その他、本会の目的達成に必要な事項奨学生は高校生と大学生で、奨学金の貸与期聞は高校及び大学を卒業するまでとなっている。奨学金の月額は、発足当時は高校生が一、五OO円、大学生は三、五OO円であった。その後、数回の改訂があり、五十四年四月一日改訂で高校生七、000円、大学生一万二、000円となった。育英制度発足以来、五十九年五月までの貸付金は別表の通りで、奨学金を受けた累計は高校三O名、大学七五名である。返還は卒業六か月を経過した翌月から、貸与額と同額を月賦返還する規定になっているが、極めて順調である。育英会に対して町民から善意の特志寄付が寄せられているが、育英会高鍋町育英会貸付・返還金総額(円〉区分|貸付総額|返還総額|貸付現額高校3,348,0001,587.0001,761.000大A寸u.ー22, 320, 500 8, 292.500 14.528.000i口h計I2お6,引ω,16印肱8,仰,9, 879, 500 I16, 289. 0005 4(昭和59年度)ではこれを「育英基金」として四十五年度から積み立て、既に三八O万円(五十九年五月現在)を超えている。明日の教育終戦後、国力の復興に努めつつ、高鍋町の学校教育はを目指して既に述べたように、施設内容ともに順調な発展充実を遂げた。しかし復興と経済発展の中で、町内の学校教育にも少なからぬ影響やひずみがあった。いずれも全国共通の問題であって、当町特異のものではないが、町民にとってゆるがせにできない問題であった。学力向上対策に取り組む一方で知育偏重や教育課程の過密が指摘された。教育に熱心な余りに「教育ママ」の批判の声も上がった。文部省と951