ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
- ページ
- 104/134
このページは ac_cho_0017-2_takanabe の電子ブックに掲載されている104ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは ac_cho_0017-2_takanabe の電子ブックに掲載されている104ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
ac_cho_0017-2_takanabe
教育と文化年六月第一棟の二階建鉄筋校舎が完成した。第二棟は四十四年四月に落成、翌四十五年十一月には第一棟の防音工事も完了した。なお西小の持田分校は三十九年三月末、市の山分校は四十一年三月末廃校となった。児童数増加のため校舎を増築することとなり、五十五年三月第三校舎が完成した。第7編東中は旧高鍋高女の校舎を譲り受けたので老朽度の甚だしい校舎を補強し修理を加え、伝統のある古い校舎を努力と工夫によって磨きをかけ東中教育の真価女発揮した。四十四年度から改築工事が始まり四十六年三月二階建て防音鉄筋校舎二棟が完成した。西中は戦後の資材ふじゅうぶんな中で建設された木造校舎であったが、予想以上に早く老朽化し改築を迫られた。しかし戦後の建築であるのと、義務制の他の三校との関連もあって改築は最後になった。束中の改築が終わった四十六年八月から東中同様、鉄筋二階建ての防音校舎に改築する工事が始まった。しかし防衛庁の防音施設助成につき変更などもあり結局第四期工事の完成は五十年三月末となり、同年十一月二十九日に防音校舎の落成式を行った。以上略述したように、本町は小中学校校舎の改築女最重点に取り上げ、困難な町財政の中から義務教育の繋備を優先的に、町と町議会一体となって取り組み文教の町にふさわしい実績を上げたのであった。県立高鍋高校は三十五年五月、普通教室一O教室の改築に始まり、三十七年、鉄筋二階建て普通教室八教室、続いて六教室、管理棟と順調に改築が進められた。三十九年家庭科実習窒、四十年理科棟(普通教室二、美術、書道各室を含む)五十三年には特別教室(音楽教室など)が完成した。県立高鍋農高は昭和二十七年四月、総合高校から独立の後老朽校舎を次々に改築したが、三十八年三月末、従来の南側木造校舎に代えて、鉄筋二階建てに改築した。同校は三十九年度から自営者養成の農業高校となり、全寮制をとっているため、四十年には寄宿舎明倫寮が完成した。四十八年三月、防音改築校舎の第一期工事完成、翌年度第二期工事、五十年度第三期工事、続いて園芸施設、和牛舎など整備を続け今日に至っている。942学校付設のプlルについては昭和三十二年十月に完成した東小0アールが本町では第一号であった。戦前戦後を通じて本町の水泳教育の場は小丸川や蚊口海浜を利用するのが習いになって特設のプlルは一か所もなかった。三十一年七月、水泳場開設準備中、東小の永友宗奏教諭が不幸にも殉職する事件が発生、十三日に同教諭の学校葬が営まれた。この事は町民特に東小PTAに大きな波紋を呼び、学校プlルの早期実現の声が高まった。小丸川、宮田川ともにようやく水質の問題をはじめ安全の面からも問題が提起されるようになっていた。永友教諭の殉職を機に、いちはやく立ち上がった東小PTAを中心に、町の予算措置もあって同校プールは=一十二年十月三日に完成を見た。二五メートルに一三メートルの方形の親プlルに、直径一0メートルの低学年用円形プlルを付設し、当時としては県内でも画期的な施設であった。その後五十三年、現在の方形二面、円形一面の新しい=一面のプールが設置された。西小のプlルは=一十四年八月に大小二面のプlルが完成した。四十年代に入って漏水などのため補修を繰り返したが五十年七月現在のプlルを新設した。中学校のプール建設は、危険校舎解消のあおりを受けて実現が遅れ、四十八年七月にまず西中のプ1ルが完成した。二五メートル、八コlスでプlルサイドにはスタンドを付設した。東中は翌四十九年七月間規模