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概要

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当時国民健康保険制度が普及し、正規の看護教育を受けた看護婦の需要が高まってきたのに応じたのである。その後、畑田の現在地に敷地が決定、上新田中学校の校舎の払い下げが〕受けて新校舎を建築し、四十年二月十七日落成式を挙行した。昭和五十年三月頃から准看議学校校舎の改築が問題となり、防衛庁の墓地周辺対策の一環として町内学校施設改築とともに町の計画に取り上げられ、防音工事補助事業として実現することとなった。五十二年九月、旧校舎受取り壊して工事に着工、翌年三月防音鉄筋の現校舎が完成、五月十八日落成式を挙行した。創立以来、多くの困難を克服しながら、五百数十名の卒業生を世に送り出してきた。歴代の校長は次のとおりである。児湯准看護学校歴代校長と就任期間立津政雄昭和犯年4月1必年3月江町年4月10年3月二初代代吉田隆同四三代代城戸松之輔忠俊同。年4月1日年3月日年4月1日年3月内田同五代黒木和裕同日年4月1現在町内教育の整備と発展学校教育昭和二十七年(一九五二〉四月、平和条約の発効により、我が国は独立国の地位を回復することとなった。終戦後占領下の諸施策を忠実に実第l章行し、あらゆる困難を克服して、ようやくここに到達したのである。戦後発足した民主主義合某調とする教育改革はその骨組や基盤は成立しても、その柊備充実はすべて今後に残されている。特に占領下にあって、我が国の歴史や文化をじゅうぶんに顧慮することなく採用した施策に対しては適切を欠くものもあり、独立を機に改善を要するものも少なくなかった。困難はなお山積していたが、徐々に国力を回復し、国民生活の向上とともに、六・三制も定着し教育の施設、内容それぞれ整備の一途をたどった。独立以後、現在に至るまでの木町学校教育の発展について顕著な事項を取り上げて記述する。町内の各学校は校舎が老朽し、危険校舎を所有していたが、終戦直後はこれらを補修し、両中学校は旧制中等学校の校舎を譲り受けて一時をしのいだ。西中は新校舎を建設し、文部省からモデル校舎の指定もあったが、戦後まだ日も浅く資材も良質でなかったため、比較的に早く改築を迫られることになった。こうした危険校舎改築の要請はひとり本町のみの問題でなく全国的な傾向であったから文部省もその解消のために、二十八年以降国庫補助の立法化を実現した。これに加えて、本町の場合、新田原航空自衛隊周辺区域に位置するため校舎などの建設について防衛庁の施設補助を受け、次々に改築を実現していったのである。校舎等施設の整備東小の改築工事は昭和三十三年度に第一期工事が始まった。従来の木造校舎第一棟西側半分に代わって鉄筋二階建て校舎(六教室、校長室、事務室〉が翌年四月三日しゅん工する。翌三十五年四月、東半分が完成した。これが現在の東小本館である。当時防音施設がなかったので、その後防衛庁の助成を受け追加工事が行われた。第二棟は三十八、三十九両年度に、第三棟は四十一、四十二年度にいずれも二階建ての防音鉄筋校舎に改築された。児童数増加のため五十六年三月には第四校舎が完成した。西小の校舎改築は三十五年度から第一期の改築工事を開始し、三十七941