ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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者、同指導者の教育施設としたもので、経営学部(二年)に野菜科(花を含む)果樹科、酪農科、肉畜科、指導学部(二年)に農業科、玄国産科を、中学卒業者に専修科(一年)を設けることにした。これらのうち本町持田に経営学部ならびに専修科を、指導学部は佐土原町に置いた。同校の「学校要覧」に各部の教育大綱について次のように記されている。「経営学部にあっては、高等学校卒業程度の学力党有し、農業の自営を志す者に対して、高等学校教育をふまえ、その応用、展開として近代的農業経営プロジェクト方式による実践的、専門的な教育を行う。そのために各専攻別に経営規模、労働力、生産性等自立経営農家の条件を想定し、農業生産活動のみならず、計画、生産、出荷、収支計算等経営の全体にわたって高度な生産技術、経営能力等を身につけさせる。指導学部にあっては、高等学校卒業者、又は、それと同等以上の学力宥有する者に対して、近代的農業経営を指導するために必要な専門的知識及び技術ケ習得させる教育す行う。そのために、一年時における理論中心の基礎教育をふまえて、二年時には専攻別にその応用展開として試験場等において、実践的、専門的教育を行うとともに、農業指導者に必要な普及方法についての教育も併せて行う。専修科にあっては、中学校卒業者で、農業自営女志向する者に対して、学校教育農業経営に必要な実務的、募礎的知識及び技術を習得させる。」なお収容定員は経営学部は一六O名、指導学部四O名、専修科若干名となっている。第1章戦後めまぐるしく変動の続く中で、数多くの優れた農業指導者を育成した実績は大きく、同校は今や農業県宮崎の農業教育センターの重要使命を果たして前進を続けている。職業訓練校町内に職業訓練校か二校ある。県立高鍋高等職業訓練校と職業訓練法人東児湯高等職業訓練校がそれである県立高鍋高等職業訓練校昭和三十五年四月一目、蚊口浦、元高鍋土木事務所庁舎を利用し、宮崎県高鍋職業訓練所を設立、建築大工、事務員、洋服工の三職種を置いた。四月十一日第一回の入所式を行い各科定員三O名をもって発足した。これが今日の県立高鍋職訓校の前身である。三十八年十二月、自動車運転科を増設、自動車学校に委託訓練を始めlた。三十九年四月、南高鍋一、七七O番地(中鶴)の仮校舎に移転した。事務員、洋服工の二科を廃止し、塗装工、ミシン縫製工(両種とも六か月〉の二職種を新設し、定員はいずれも三O名であった。四十年二月、建築大工、塗装工の実習場が完成し、翌四十一年=一月には木館も完成する。四十三年四月から洋裁工(定員一O名、六か月)も加わる。四十四年十月一日、職業訓練法の改正に伴い、県立高鍋専修職業訓練校と校名改称、職種は建築科、塗装科、縫製科と、委託訓練職種の自動車運転科、洋裁科となった。翌年九月から定員三O名、一か年の委託訓練を開始した。四十六年九月からは、農業転職者の訓練コlスとして、塗装科(定員二O名、四か月)が始まった。農業者の転職訓練はその後も建築科、鉄筋科、型枠科などが定員二O名、期間三か月で毎年設置された。施設面では四十七年三月に建築科の機械実習場が完成した。五十一年九月には造園科(定員二O名、六か月〉の委託訓練を開始した。こうして五十四年四月一日、職業訓練法改正に伴い、宮崎県立高鍋職業訓練校と名称を変更し今日に至っている。939