ブックタイトルac_cho_0014-3_takanabe
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第四章第一節商業・工業・金融機関商業大正期から戦後へ大正期経済明治四十年の「高鍋町是」によって、当時から大正期界の変動にかけての町内商家の概況を推し量ることができる。その商業のところを次に掲げる。高鍋ノ地タルヤ三百ノ商家ハ国道ヲ挟ミ一市街ヲナシ、海岸ニハ蚊口港ヲ控エ蚊口浦又二百ノ商家軒ヲ並べ、商業ノ区域未ダ甚ダ広カラズト雌モ、水陸ノ物貨ヲ集散シ商業地タルノ資格自然ニ備ハレリ、今本町主ナル商業ノ収益ヲアグレパ左ノ如シ六一戸商業・工業・金融機関呉服商料理屋魚類商雑貨商材木商醤油製造業旅人宿第4章質屋酒造業焼酎製造業一二六一戸二二=戸三三ノ\戸戸五一戸一万四、000円五、八九八円四O銭四、一八九円五O銭四戸四、O八一円三、八七九円五O銭二、七二五円九一銭八鹿二、=一四O円二、二七二円一、六一一円七戸戸五一戸八二四円五O銭二、三四五円一五銭八厘二、000円一、二七五円一、九八O円其他普通ノ商家総数四二五戸ヲ合セ六万五、O四六円四七銭一厘ノ収益ヲ一一小セリ。肥料商請負業穀物商九戸。戸八戸飲食店一五戸藩政時代の城下町であり、鉄道開通までは生活資材や生産品の取り引きは海運の要港蚊口港に頼っていたので、高鍋町と蚊口浦は密接不離で繁栄していた。明治=一十七年、高鍋実業倶楽部が設立され、大正二年高鍋商業会と改称、六年には高鍋商工会に改組、高鍋町商工業発展のため、種々画策尽粋していた。特に呉服商・雑貨商などが多いことは、周辺町村の需要の大部分に応じていたものと察せられ、飲食店一五戸、料理屋五戸、旅人宿二三戸もあったことは、官公庁や金融機関も集まっていて、この地域の中心の町であったことが知られる。これまでは春秋二回ぐらい阪神方面に出かけ、呉服・日用雑貨などさまざまに仕入れてきて、お客に販売する商店が多かったが、第一次世界大戦がぽっ発すると、まもなく大戦景気の好況に恵まれて五、六年ごろまでは、養蚕・製糸の中心とした農村景気に沸き立っていて、日向銀行や日州銀行高鍋支店や高鍋無尽株式会社など金融機関の繁栄充実している中に、十一年四月一日には、有限責任高鍋信用組合(組合長井上旭)が六日町六二五番地で営業を開始したほどであった。しかし、やがて訪れた大戦景気の反動不景気や関東大震災の影響で、うず昭和初年の世界的経済恐慌の渦に巻き込まれていった。このことは第五725編第七章第一節でも述べたところで、なかんずく米作・養蚕中心で繁栄