ブックタイトルac_cho_0014-3_takanabe
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第6編現代第152表大正14年県内銀行の状況銀行名|所在地|創業|資本金|支店数|備考宮111府農工銀行宮崎町明治30. 11. - 1 00万円宮崎銀行同グ25. 9ー300 6高鍋にも支店あり日向銀行高鍋町グ30. 10 .ー100 6支店は妻と東児湯日州銀行宮崎町グ33. 10 . 150 9高鍋にも支店あり延岡銀行延岡町1/ 31. 100 2佐土原銀行佐土原町グ33 . 100 6大正銀行本庄町大正5. 8. 40 1都城銀行都城町グ8目8.- 100 3日佐銀行佐土原町グ8. 11 . 50 2橘銀行宮崎町グ11 . 15妻3畏行妻町グ1 2. 1. 50西諸貯蓄銀行小林Il IJグ11 . 5一50佐土原貯蓄銀行佐土原111]" / 9. 50 1(県経済史〉新坂建也神回重也永川沼テセ」ω~夫須子田末雄口時メ足ノ;it/森本巧坂7じ稔佐藤富雄高橋茂右衛門中村正夫黒木保田キ寸繁夫歴代支店長に店舗を新築移転し、ますます発展今日の隆盛を迎えている。店」と改名。三十九年七月六日には、大{子高鍋町六五三番地(現在地)を新築するに至った。三十七年八月二日には「株式会社宮崎銀行高鍋支業は好調をつづけた。二十三年九月十日、大字高鍋町六三O番地に店舗至り、預金は飛躍的に増加し、一般の景気回復と経済成長に伴い銀行事新銀行は専ら信用の向上と預金の増加に全力を尽くした。特に戦後に高鍋支店となったのである。あった日向中央銀行高鍋支店が、同年九月五日、新銀行日向興業銀行のしたのが、日向興業銀行(後に宮崎銀行と改名)であり、高鍋町中町にそこで挙県一致、官民総動員で新銀行設立となり、同年八月二日開業た。の二銀行が取り付けに遭い、県内金融界の大混乱が起こったのであっ七年五月十一日、日向中央銀行と宮崎銀行(現在の宮崎銀行ではない)の日向中央銀行となり、この不況切り抜けに対処していたのであるが、八銀行が合併して、資本金五OO万円、預金一、九OO万円の本県第一高鍋の日向銀行をはじめ、日州・橘・都城・大正・佐土原・日佐・妻の付けさわぎ」において述べたように、昭和三年三九二八)二月一日、748きは未ーヲ曽官有うの金融恐慌である。第五編、第七章、第一節の五「銀行取り