ブックタイトルac_cho_0014-3_takanabe
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行に激減したころであり、有限責任、高鍋信用組合の経営も困難を極めた。時代変遷、法制の移り変わりに伴い、組合は組織の変更を行い、九年六月二十八日、保証責任・高鍋信用組合に改組した。六年二月以来店舗を大字高鍋町六六一番地(現在の宮崎銀行高鍋支店の東隣)に移していたが、九年十二月大字高鍋町七三O番地(現在のトミタ時計店のところ)に移転した。第二次世界大戦後、インフレーションの激化と、打ち続く金融政策の統制と転換の大混乱を乗り越えながら、二十三年九月十五日には、市街地信用組合法に基づく高鍋信用組合に改組、営業地区を高鍋町・富田村・木城村・川南村に拡張し、店舗を大字北高鍋三七五番地(旧高鍋商工会議所のところ)に移転した。更に二十五年四月一目、中小企業等協同組合法に基づく高鍋信用組合に改組。このころ朝鮮動乱がぽっ発して、特需好景気はやがて農村にも波及して来た。二十六年六月「信用金庫法」の制定があり、信用金庫法第四条の規定により、信用金庫の事業を行うことを免許され、二十七年(一九五二)五月十三日、信用金庫法に基づく高鍋信用金庫に改組した。同年十二月二十二日、大字北高鍋一、商業・工業・金融機関三四七番地(中央通の現在地)に店舗を移転。三十九年六月二十四日、本店新築落成、新店舗で営業を開始。このころから事業の発展・拡充特に著しいものがあり、望まれて近隣各町村や宮崎市・日向市にまでも着?と支店を開設した。支店設置状況昭和二五・二九・第4章四富田支店開設(後に新宮支店と改称)七木城支店開設/\.三0・五-一一一一川南支店開設昭和三八・三・二O七・一O六・七・都農支店開設日向支店開設四四四六四四佐土原支店開設宮崎北支店開設住吉支店開設神宮東町五一番地;"四;"九五一・一一・j\、宮崎東支店開設吉村町五三・七・一O西都支店開設五五五財光寺支店開設五五宮崎南支店開設恒久町二丁目」ーノ\営業地区四十六年度には、宮崎県経済・産業の中心地宮崎市街地への進出を実現し、七月十四日には、営業地区は東臼杵郡南郷村・北郷村に拡張し、児湯郡高鍋町・新富町・木城村・川南町・都農町・日向市・東臼杵郡門川町・東郷町・西郷村・諸塚村・西都市・宮崎郡佐土原町の三市七町五村となった。四十七年には延岡市・宮崎郡清武町・回野町・東諸県郡に拡張し、五十五年三月十七日には更に西米良村に進出した。四十九年には本部・本店が狭あいになり、十二月十八日に増改築し現在の店舗となったが、同年十二月二十五日には、日本銀行との当座取り引きが認められ、五十年十一月二十五日には、日本銀行歳入代理店指定認可(本店)事務取り扱いを開始し、金融機関としての機能と信用の地歩を一段と高めることになった。事業内容預金または定期積金の受け入れ会員に対する資金の貸付745会員のためにする手形の割引