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概要

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第6編現代第140表焼酎価格の変遷(1. 8 s当たり〉年次25度換算25度換算25度換算年次年次自由価格配給価格自由価格|配給価格自由価格|配給価格銭銭円円25.0大正15 89.2昭和23 787.50 365.2031. 25昭手官296.224440.00340.00配給制廃止3827.5392.525450.00345.00産業用特配3934.3492.526370.00311.00140 28. 1 5 86.5 27 380.0041 31. 2 6 76.9 28 310.00 270.0042 34.7 7 74.0 29 360.00 320.0043 42.8 8 31 350.00 310.0044 46.8 9 71. 5 33 335.00 305.0045 61. 1 10 80.3 34 345.00 315.00大正2 52.0 1 75.0 35 340.00 310.003 45.8 12 92.5 36 355.00 325.004 41. 6 13 97.2 37 345.00 (配給廃止〉5 46.2 14 15.3 41 300.00655.51597.243390.00(配給制とな770.816270.0る〕45440.00円892.5172.6552700.009 101. 5 18 3.04 53 710.0010 92.5 19 5.55 54 850.008.001 91. 312, 1 8.8055 940.0012 86.5 21 3, 3 16.009, 1 30.0013 91. 3 89.00銭102.0014 92.5 12, 1 50, 500.0 205.00(高鍋税務所管内資料〉く、茅屋根の惨状は言語に絶した。かやり、家屋の倒伏・損壊おびただし戦後二回にわたる猛烈台風によじた。たけなわとなり十三年ついに窯を閉でに廃業が相次ぎ、石丸も日中戦争気のため需要が伸びず、昭和初期まあるが、大正期から昭和初年の不景伊之松、職司の嶋田栄太郎などで薄の黒木づき、高月の三好、宮回の石丸も焼瓦製造を始めた家があった。小おんである。高鍋でも明治末期から早くしだいに多くなったのは明治期からで、一般民家で瓦葺きにする家が士の家でも茅葺が行われていたものされた」とある。藩政時代までは藩(一八六六)組外以下瓦葺を許可〈みはずれかわらぶきれば「慶応二年焼瓦工場やきがわら続々本藩実録によた。木・小島・永友の各店が知られてい松・筏の岐本・荻原、蚊口浦の黒こたえている。中でも町の武末・安ではしようゆ屋七戸が町内の需要に給自足が普通であったが、高鍋町是736