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概要

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世テ也。角力修行の早助が病気で帰って来たけれども、本業の農業もできなくふ.ひんて不思だから、今まで支給されていた麦と取り替えて米八俵をくださることになった、というのである。天保元年(一八三O)二月四日に名貫川早助ヨリ旧冬御免之勧進角力、明五日ヨリ晴天五日輿行仕段申出、後=一日日延御免(向上)しこな右の記録によって早助の醜名が名貫川であったことが分かる。早助はその後、勧進角力の興行などをしていたのである。現在、切原の美年神社の境内に名貫川の記念碑が立てられている。墓は坂本の旧学校跡から鬼ヶ久保に上る古坂の西の墓地にある。だぎねん駄祈念ともいう。牛馬の労苦をねぎらい、その安全を駄祈祷祈念する農民の慰安行事で、年貢上納が済んだ後、初めて許可された。360(続実録、巻之十六)近第4編