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概要

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一薪一駄(雑木)一八四文一松薪一OO文一諸肴物上一OO文で二OO匁、中三OO匁、下四OO匁塩一OO文に五升高古同鍋鍋;1都美農三三洋五四八文七二文一駄賃一一年給金上一O貫文中七貫五OO文下三貫文一日雇賃銭(女)一OO文一下女仕着の上古着一枚一人馬賃銭三OO文一日一履賃銭(男)一四八文一職人賃銭二二四文一家葺賃銭二OO文下げた物価を示すと次のとおりである。し、高鍋藩でもこれに従い二五%の物価引き下げを断行している。引き幕府の天保の改革が始まり、同十三年三月幕府は諸物価引き下げ令を出が起こり、天保八年には大坂で大塩平八郎の乱が起こり、同十二年には当時物価は年ごとに上昇していた。天保四年九月、江戸で打ちこわし第2 2表西暦|年号|銭銀世:vt文:n匁1817文化14 30.000 4.220.001818文政1 285.959 14.037.951819グ2 9.564.660 44.430.001820グ3 1, 781. 616 38.902.001821グ4 5, 618. 126 232.272.661822ノγ5 3, 765. 700 32.620.951823グ6 637.760 34.750.001824 1 7 1, 292.249 4.802.561825I!81, 416. 54086.543.901826I!9350.00016.893.401827グ1 055.00047.007.941828グ114, 677.28244.525.001829グ1 2 212.548 7.508.491830天保1 676.356 3.632.301834ノク5 472.464.g.第4編山林売払代金調近(続実録〉H I 30, 836. 260 Iω147 . 1 51年平均I 2.055.750 I 40.809.81ったのであろう。袖山とあるが場所が明らかでない。上江村の宿坂から(んい心口。)横二OO間(ぽゅ)ののん小茶園を作って。い試る作的なものであ一、000閉会いの心。)横五OO間(んいの心。)の大茶園と、縦六OO間文政二年に菜種八三石の収穫が初めて記録され、同五年間一月、縦いる。城勇雄撰の財津吉一伝によると製紙益金は年五OO両あったと記されてるのは、その収益を落の財政収入に繰り込むための工夫からであろう。災録、を之一八)、福嶋院中の櫨を上町吉左衛門に「請うけ絞り」をさせてい占権を持つ僚座を三か年間取り上げて、落直営の「御手絞り」とし(続述べたとおり〈第四章第一節)天保十年(一八三九)六月、機製造の独収櫨は益じのろがう実多にいよのるで製あ蝋るも。いっそう収益増加の工夫がなされた。これも既に手間代を支払って、製品の紙を受け取り、紙を販売するほうがはるかにようになった。すなわち、格を製紙材料として販売するよりも、製紙のたが、天保七年ごろになると、紙漉業者に格を渡すきし紙の製造を委託する文化五年ごろまでは、格は製紙材料とこうぞして本圧の和泉屋に売り渡してい触れたが、紙の委託製造が行われるようになったのもその一つである。に伴い、一段と収益増加の工夫がなされるようになった。さきにも少しまな努力をしてきたが、幕末の変動期の財政逼迫支益増加の工夫建設期、充実期を通じ産業の振興についてさまざ炭五升一OO文一鍛冶炭一俵一OO文一諮問一六東一OO文かりやす八束一すきざき大七二文小四八文一風日焚四八文一へら一枚三四八文276