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概要

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兵役目屋敷三畝御免弐人扶持帯万御免代官支配但一代山留兼御船手放役矛り喝lle'I『J'fよ五十六一日高万次郎寅七月病死右を要約すると次のとおりである。催司のほかに、四十六乙名表廻船大工船鍛冶瀬口下役二人ノ\四人(棟梁一二人(帯万御免)大工一二)二人(一人目付兼務)船子蔵役二人(目付・山留兼務)(知行は十石j屋敷三畝〉小船頭全員屋敷三畝米赤五斗本水主かお良は高鍋藩特有の用語で「貌」の謁字で、名儀・義務・権利などをあらわし、「帯万井良御免」は、帯万を許され、が舎の任務(輸送業務)を免除されるのである。全員屋敷三畝高鍋城下の領民の生活水主屋敷と文化十二年(一八一五)の人給帳によれば、水主のうちでもいくつかの階層があり、小船頭格の者には屋敷三畝と赤米五斗、本水主には屋敷三畝が支給された。しかし「蚊口代官目安」の蚊口浦火災の際の類焼者に、小屋掛用の松丸太を支給した記録に半ケ畝士官軒一一付拾肩、壱ケ畝壱軒-一付拾五肩弐ケ畝士官軒-一付弐拾水主役呂第7章肩右無代銀ニテ被下侯(下略〉また、救援の食糧支給のところに尤本ケ畝半ケ畝無差別と記されているところから見ると半ケ敵、一ケ畝(木ケ畝ともいう)、中には二ケ畝を持つ者もいた事実を示している。城下高鍋町の町人屋敷に売買、名儀変更が許されていたのと同様の取り扱いが認められていたものであろう。水主の役目のうち、最も主要なものは船による人や物資の海上輸送である。したがって領内の物資を領外に輸送、または移出し、領外の物資を領内に愉送移入する。また、物資輸送に伴う種々の業務があり、更に漁業にも従事した。水主の業務は、「板子一枚下は地獄」といわれるように、大海を舞台にする仕事であり、常に危険にさらされていた。また自然の猛威ばかりでなく、海賊の脅威もあった時代である。元禄三年(一六九O〉十二月蚊口の又次郎の船が、曲一一且後〈大分県)の佐賀関で海賊に遭ったという記録が見える(拾遺実録巻之二)。寛延二年(一七四九〉十二月、蚊口の岩本又四郎という者の船に一O人乗り組んで航行中伊勢の沖で西大風に吹き流されて八丈島に漂着し、翌年七月ようやく全員が帰り着いた(姶造実録巻之十〉ことや、寛政九年(一七九七)十二月、福嶋の甚右衛門と重次郎の二人が無人島に漂着し、薩摩藩の船に連れ帰られた(続出火録巻之八)ことなどがある。通常の天候の急変に伴う海難事故は数多く、破船、水船、溺死なども記録の中に見える。水主の生活には常に生命の危険がつきまとっていた。それを避けるには、祖先から代々伝えられた経験の累積である伝統と、危険を直感し得る野性的な感覚が必要であったに違いない。それを示すものに、元高鍋落庁所蔵の「海路図」がある。(表・一裏一みかえしの図参照)藩主の参勤交替の、海上の安泰のために作られたもので、海岸ふちの地形、港々の所在と里程、港湾の淵や瀬が克明に記載され、天候の変323