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概要

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で生産する穀物をはじめ、種々の物資を商業ルlトに乗せ、領外から領内へ物資を入れるのも、これらの御用商人に負うところが多く、したがって藩は商人たちに格式と禄を与え、家臣として待遇していた。落の記ごょうたしごょうききかけや録で「御用達」「御用聞」と呼んでいる。また「掛屋」がある。掛屋は大坂にある蔵屋敷の蔵物販売代銀を預け、その出納や、国元・江戸藩邸への送金を任せていた商人で、徒士格または中小姓格の待遇を与えている者もあった。享和から文政年間ごろの御用商人の待遇を見ると次のごとくである。享和二年(一八O二)(人給帳)京都御用達三人扶持川端久左衛門伏見御用達二人扶持笹部次左衛門-二)[:(屋〉長崎御用達HK配附銀五枚糸谷亥吉郎日田御用達銀二枚俵屋藤四郎。文化十二年(一八一五)(人給帳)(代)大家屋敷名題五人扶持三人扶持三人扶持一人扶持藩宋変動期の高鍋京都御用達伏見御用達。文政元年(一八一八〉ハ代)・:・‘iE大坂屋敷名題ト但似糊持掛屋徒士格八人扶持。文政五年(一八二二)大坂ι酌掛屋ト恒似鰍持八人扶持徒士格第6主主掛屋銭屋作兵衛平野屋八郎兵衛川端久左衛門笹部次左衛門〈人給帳)佐兵衛平野屋岡八郎兵衛(人給帳)逸見逸見佐兵衛平野屋岡八郎兵衛長伏11崎見御1illJ御用用出達達入中三四コ小O一一人天姓石人人扶扶格店扶扶持持5J'lK持持枚湯浅丹波屋糸屋元信長兵衛猪右衛門本庄和泉屋弥平次石見屋小田理兵衛延岡小田宗三郎三人扶持三輪次郎左衛門一代一人扶持摂津屋善兵衛(細島の問屋三輪家は高鍋屋である)以上は享和から文政の人給帳に見える御用商人である。人給帳には記載されていないが、このほかにも扶持や格式を与えている例がある。文化十二年に、江戸で借り入れに応じた千葉太郎助に五人扶持、弘化二年の類焼の際に幕や銀を献納した加賀屋五郎左衛門に一代組外の格式と一人扶持を与え、嘉永二年に金五OO両の借り入れに応じた鴻池篤兵衛に三人扶持、その手代鴻池喜兵衛に年々金五O疋を与えている。ともかく、多額の費用を、しかも緊急を要する際に融通し、積極的に協力するのはこれらの商人であった。参考までに古い時代の御用商人とその待遇を示すと第幻表のごとくである。細島御問屋|司知行の借り上げ多額の出費についての応急対策のほかの一つに知行の借り上げがある。何か年かの年賦で返還するのがたてまえであるが、ときには減様である場合もある。なかっかさたゅう種任は文化十年一月、播州竜野城主脇坂中務大輔安董の娘ミサと再婚することになった。前夫人とはわずか一年三か月の縁で前年六月死別したのである。蒋縁が決定した八日後に幕府から公家馳走役の控役を命ぜ273