ブックタイトルac_cho_0008-3_takanabe
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同四年七月十四日、廃藩置県となり東京在住を命ぜられた。明治七年年長門守。明治二年(一八六九)六月十七日、版籍を奉還して落知事、之助といい後栄之助に改めた。天保三年佐渡守、同十四年家督、文久二第18表種肢は文化十四年(一八一七〉六月十三日、江戸に生まれた。初め松守、天保十四年隠居し安政三年(一八五六)六月十日に没した。六六歳。の種任が文化五年(一八O八)家督を継いだ。同年佐渡守、同十三年筑前郎。父種徳は健康すぐれず、二夫人を相次いで失い、嫡子もなく、庶腹種任は寛政三年(一七九一〉九月十六日、高鍋に生まれた。幼名栄三であった。種樹は藩主ではないが重要な働きをした。たねたつ壊して日本の近代化が始まったのである。この時期の藩主は種任・艦艇ついには徳川幕府が大政を奉還して明治政府が樹立され、封建制度が崩災害損毛状況( 5,000石以上の災害〕西暦|年号|損毛出費|損毛高嘉永六年(一八五三)には黒船が浦賀に来て世を挙げての騒動と。なった1 791究政3年災害損毛1 4,214石余1792汐グ4年ρ1 3,530グ1795ググ7年グ1 2,940グ179 8ググ10年グ8,461グ1799 I / // 11年グ14, 214 /1 802享和2年グ9,264グ180 4ググ4年グ17,898グ18日文化12年グ6,090グ18 35天保6年グ6,777グI I計103,388石余(続実録〕世の動きの気配が感ぜられた。文化十一年にはイギリス船の長崎入港、いうことがあり(続実録、巻之十一)、種任の藩主継承の当初から、不穏の幕府の手伝い事業や度重なる公家馳走役、江戸災害と失費の累積したと伝えられ、十二月には清国寧波の商船が高鍋領都井に漂着すると種徳の治世の末期から大きな災害が続き、またをいったんは奪い取ってまた返し、水、野菜を与えるとまたどこかへ出帆審船が漂着し、九月には長崎ヘオランダ船とは違う異国船がオランダ人第一節財政の逼迫とその対策月十六日、種たねただ任は家督を継いで第九代藩主となった。三月に日置一次に不オロシャ船打払令が伝えられてから間もない文化五年(一八O八)二れ、以後、新政府のため重要な活動をした。肢の世子となった。慶応四年二月十五日、明治政府に入り参与に任ぜら第4編序説格。元治元年六月二十八日、学問所奉行・若年寄格辞任。同二十九日種近問所奉行。同年十二月十六日右京亮。文久三年九月二十七日、若年寄男、国は岸田氏。幼名政太郎。文久二年(一八六二)十一月十四日、学第六章藩末変動期の高鍋種樹は天保四年(一八三三〉十月十七日、江戸に生まれた。種任の二世(一八七四)三月十八日、東京で没した。五八歳。270