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概要

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世ーい白い応四年一月、京都乾門響備を命ぜられた。二月三日、島津久光の使者岡田彦左衛門と久保田新次郎が高鍋に着き、布告文を直接種肢に手渡した。布告文の内容は大要次のごとくであった。徳川氏が兵馬の権を掌握してから、王室は衰微し、万民は天朝のあることを知らず、幕府は朝廷を軽侮することが多かった。本年一月三日にはついに兵力を動かし宮門に迫るに至り、逆謀が明らかになったため、尾張・越前・薩摩・長州・土佐・安芸などの諸藩は、これを鳥羽・伏見に撃破した。天朝は速やかにこれを討伐するよう仁和寺宮親王に征東大将軍の宣下が行われた。よって列藩の将士四民万ちゅうばっ姓に布告する。早く徳川慶喜、松平肥後、松平越中などを談伐し、しんきん展襟を安んじ奉り、万民の苦しみを解き、自主国を静鎮すべきである。主師を拒み逆敵にくみする者には天誌を加えるであろう。速やかに去就を決し、忠誠を尽くし、王室を翼戴すべきである。近第4編島津中将藩主種肢は、答書を作り忠誠を尽くすことを誓った。(御答書)御布告之旨越、敬て拝承、種殴不肖と難も、先祖対馬守春実逆賊征伐以来、累世の遺訓を守り、尊王の外他なし。航船を尽し、身へんぴあだちゅうりくしんきん命を描ち、官軍の偏禅に加はり、王室に冠なす者を珠裁し、震襟けっしてを安んじ奉らん事を固願う所、神明に誓ひ決而他心これ無候。慶応四年戊辰二月三日正月秋月長門守大蔵種肢10(続々実録、巻之十三)世子種樹が藩主種肢の名代として着京参内したのは同年二月十日であったが、十五日には参与の発令があった。二十四日に乾門警備のため務、'h三haaJgE似者H.A仁1隊長参謀兼使番参謀兼使番小隊長半隊長戦外分兵隊第長分隊同大坪第二分隊ロ福甲手鈴崎斐塚木数賢太太来郎郎助立山正之介山田関太郎二三人貞二以下一四人記武藤東四郎記録戊辰戦争記録(高鍋図書館蔵)兵一小隊が上京し、二十八日には徳川親征に出兵する請書を提出した。286同年五高鍋隊の編成月二十五日に、上野山内の彰義隊鎮定のため、兵隊を召し連征れ迅速に東下するようという御沙汰書が右京亮に達せられた。右京一周知種樹は名代として重臣を差し出したいと許可を求め、惣奉行武藤東四郎を都合として派遣す~t良