ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
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よると、明倫堂は、国学・漢学・洋学・医学を講習し、教師一七人、生徒二九八人、郷学は美々津・都農・平田・小池・三納代・椎木・諸県・福嶋の八郷学があり、皇漢学を兼習し、教師二四人、生徒六O一人と記し、その学則と課程ごとの課目を挙げている。廃藩以前は抑制されていた洋学も次のように、地理や万国史を学び、世界への目が聞かれている。一、洋学下等単語一、洋学中等書取一、洋学上等地理書万国史講習廃落後も明倫堂の教育は続いていた。明倫堂は右のとおり、明治五年十一月まで活動していたが、法制上廃止となったのは、明治五年一月五日(太陰暦四年十一月二十五日)太政官から、「府県学校ヲ文部省一一属ス」と布告されたときである。安、氷七年(一七七八)創立以来、人材育成の建学の精神を維持し、時勢に即応して改革発展し、多くの人材を育成し、ここに九五年の歴史を閉じたのである。しかし、その伝統は新しい学制の下に生まれたこの地の多くの学校に受け継がれている。文綴典字会話数学加減乗除数学分数比例習字会話高鍋藩の教育第5章269