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概要

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世を引用している。「郷聞学規」というのもこれから名付けたのであろうとは高鍋藩史話の指摘である。郷閏学規聖語国字解郷聞学規に引用した経書や四番などの語句に、分かりゃすい解説をつけて、郷間学規とともに庄屋、乙名などに分かったものが聖語国字解で、いわば郷閏学規の教師用参考書である。冒頭の「郷聞学規」の字解と、前の第九条の解説を引用する。りよ郷はさとと読みて一万二千五百家ある大村をいふ。聞もさとと読みて二十五家ある小村をいふ。それで郷聞といふて村里といふこと。学ハまなぶと読みて人のよき詞をきき、人のよいをこなひしかたを見聞して、われもそれをまね習ふこと。規とはのりと読みて、むらことわりむらのものどものをしへをうくるわけの理を規といふ。それで手近第4縞本といふこと。第九条の部は次のとおりである。郷閏ハ前に出づ。有礼とハ人ハ礼義を忘れずゆききするといふて、したしくむつまじくなりて人のぶんがたつことなり。年始霧寒五節句その外式日には、なるべきだけハたがいに行き来をして、信実に問ひ見まわし、或は村より合に老少の次第をなしてしんせつにまじわること。貧窮とはくらしかたなんぎにして衣食にとぼしきこと。患難とハ、或ハ日てり、或は氷雨、或は虫付等にて作方みのらず、至てとりめなく、或ハ火事にあひ、或はぬすみにあふ、みな心くるしきふしあわぜなること。婚姻ハむこいりよめいり。死葬ハ人のしぬこと。隣保とハ、五家を隣といふ。保ハくみ合はする儀にてこ十五人を保とす。それぞれとなり近所のこと。相助とは、左様の時節ハたかひに力をあハせて世話をしてやること。これによって儒教的な庶民教育を行った。種茂の理想国家を実現しようとする熱意は、たいそう強いものであった。明倫堂記の「百職その人を得ざれば則ち政を修めて事を立つる無く、治平の功を致す能はざるなり」という考え方の延長が、庶民教育にも及んでいたのである。種茂の時代の「郷閤学規Lによる庶民教育は、既に見郷約の定てきたとおり、藩領全地域の代官がその支配下の庄屋、乙名に示達し、圧屋、乙名はその支配下の農民、町人、水主を各家から一両人ずつ交替で毎月十六日自宅に呼び寄せて読み聞かせるというように、上から下へという方法で行われた。種徳の治世の終わりから種任の時代へかけては、「郷中申合せ」とか、「郷約」の形に変化してきさだめている。そこに時勢の変動が見られる。しかし、次に掲げる「郷約之定」ついたちに見られるように、毎月朔目、庄屋宅に村中の老若男女を呼び集めて庄ち耳目d忌翌雪量=ー266屋が読み聞かせるという実施方法は同じであり、両(県立図書館蔵〉人交替であったものを全員呼び集めることにしたのは、いっそう徹底を期した意図的な庶民教育であることを示している。次の「郷約之定」は、第八代種徳の亡くなった文化四年(一八O七)の福嶋のものであるが、同様のものが領内各地.':., ..・~.'郷中申合条々にあったと見てよいであろう