ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
- ページ
- 36/52
このページは ac_cho_0007_takanabe の電子ブックに掲載されている36ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは ac_cho_0007_takanabe の電子ブックに掲載されている36ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
ac_cho_0007_takanabe
世老以下諸小吏で勤務のため登校できない者は、皆陪聴を許された。教授は尊敬され、藩政の大事については教授の意見を問われることがあった。後に国学科が設けられてからは、漢籍一人、国学一人の教授が任ぜられ、御書院講書も交互に行った。後、生徒数が増加してからは二人とも日勤した。役料は初め一人扶持であったが、後年給一一石あてとなった。近第4編助教四人(後三人)初め頭取といったが助教に改めた。二人ずつ交替で出校し、行習斎の指導および試験などをつかさどり、大小学生の出席を記録し、金穀の出納を兼ね、=一か月出否帳および毎年九月金穀勘定書を作成して中都合に提出したが、大小学生の増加により文久三年八月句読師を置くことになってからは三人となり、三人日勤し、二人は教授を助けて教育に当たり、一人は会計をつかさどり書籍・米穀・造営などのことを担当した。察長二人(助教兼任、後三人〉初め切偲楼都講と称し、助教のうち二人が兼任し、一人ずつ交替で日夜入直し寄宿生の指導監督に当たり、金銭・米・味噌・灯油-L薪・iιvcなどの出納も取り扱った。後寄宿生が増加してからは専任舎長三人を置き、二人は専ら寄宿生の教導をつかさどり、一人が会計をつかさどった。寄宿生の教導は三人で合議し、交替で一人は夜自宅に帰る。後に舎長と名称変更。役料は助教兼務のときは、当直の日だけ、賄いと灯油・炭類を支給。舎長を置くようになって役料年六石六斗となる。句読師入A(後六人)著察斎の学生が増加し、教授・助教の手が行き届かないため、文久三年八月、句読師を置き行習斎の三事試、出席調査、素読などを担当。寄宿寮の優等生八人を選び、毎日二人輪直することとした。後六人とし、三人漢籍、三人国書の教導に当たり、毎日二人ずつ当直した。役料は年給米五石。254書師ノ\筆道に熟達した者を一人選び、行習生の筆法筆意を教導させ、蔵書出納も管掌。年給米五石。習礼師兼律学師一人しつけ諸礼に熟達した者一人を選び、行習生に諸礼を授ける。族方ともいう。律学は生徒の望みに従って授ける。初め、三八の日に指導したが、生徒増加後は隔日に行う。初めは無給、隔日に行われるようになって年給三石三斗。同副師門人の優等な者二人を教導の助手とする。医学師一人医術熟練の者を選び、医家の子弟および熱心な者に隔日に授業。役料年給三石三斗。二人同副師二人医学優等の者に医学授業の助手をさせる。役料年給二石五斗。算術師ノ\副師二人算法精練の者。初め三八の日に授業を行ったが、生徒数増加のため隔日授業とした。役料は初め無給、隔日授業となって後、年給三石三斗。副師は算術優等生より選び、役料二石五斗。保正八人(後九人)行習斎の優等生から選び教授がこれを命ずる。各一組一五名j二