ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
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高鍋藩の教育らせ夕暮れまでに解答を提出させる。試験場には仮名講義の参考書以外は何を持参してもよい。試験に合格して名前を届け出ると貰として金子四OO疋を贈られた。詩作や詩文に優れていると更に優遇された。成績の優れた者のうちから他国への遊学を命ぜられる者もあり、自費遊学を許される者もあった(文武取調室百三似内改と大改以上の試験は学力の段階ごとの及落を定める試験であるが、文武両面の修練状況の検査も行われた。毎月一回、稽古都合(家老)、中都合(奉うちあらため行)、文武改役が臨席して修練の勤惰状況を試験するのを内改といい、三か月に一回、家老・奉行・大目付・文武改役など全員が臨席して行うおおあらためものを大改という。大改には生徒の出席などの報告書を藩主に呈上する。文学改は、大学は五人一班で各自講書を行い、小学(行習斎〉の句読生も五人一組で、小学課程の教科書五、六行ずつを順次に読ませる。その組の句読の進んでいる者を後にし、組末の者が一組分の清書を稽古改役に提出する。改役はこれを一覧して中都合に達し、中都合は都合に皇し、それぞれ一覧して次の組と代わる。大改には臨席の役人が全員一覧する。素読が終わると、習礼、算術の順で行われる。それらが終了すると、三事試済、講義試験済、行習斎三か月無欠席者、一か年無欠席者などの表彰が行われる。三か月総出席の者には中字筆一対、一か年総出席の者には白銀一両が贈られる。武芸は中位免許を与えようとする者は、それぞれの流派の師範がその姓名を稽古改役に報告して大改に臨み、試合をさせて優劣を見、技量の巧拙を全員で検査した後に許可する。免許を受けた者には金二OO疋、第5章中位の者には一OO疋を賞として贈る。藩主が在城するときは、全士卒の文武の修練状況を必ず一覧する。藩主一覧の節は家老・用人・奉行・大目付・物頭・稽古改役が出席し、優秀な者は昇進させ禄を増加し、その進歩の状況により賞罰がある。行習斎生は小過があれば保正が指導し「新無精帳」に採点する。一月に六点となり、または大過があると「無精帳」に点をつける。無精帳が二点になるか、または校則を極端に破る者は保正が相談のうえ教官に訴える。教官は懲戒のうえ「記過籍」に採とき点する。記過籍の点が三点となると、学校に一刻(二時間)留め置かれどめとうる。これは「七つ留」(午後三時1五時)といわれ、逗校の罰である。この罰を受けた者は、三か月総出席しても賞は与えられない。一退校三回になると、段階を落とされ一番組の生徒は二番組の末席、二番組の者は三番組の末席に置かれた。四か月間三事試に失点がなければ本席に返される。三回席を落とされた者は放逐され、放逐された者は仕籍に列することはできない。文武改に故なく欠席すると罰せられる。理由なく一か月欠席した者は稽古改役から理由をただされる。病気のときは医師の診断書を添えて届け出る。もし数か月怠けると、その程度に応じて自宅禁固を命ぜられ、罪が重いと禄を削られることもある(文武取調書、明倫堂記録)。行習斎は初め、諸土の長男は必ず入学することであったが、二男三男は随意であったので一OO人内外にすぎなかった。就学が仕籍に入る条件となってからは三OO人にもなった。生徒主k著察斎は初め約五O人前後、諸士は全員入学となってから一OO人余、しかし小学試験卒業の者は寄宿生を除けば約半数、そのほかは講堂百を聴くだけであった(文武取調書)。諸土以外の庶民の子弟も能力があり希望があれば入学することができた。次に挙げるのは廃藩近い明治三年一月六日、福嶋の水主助治が寄宿251