ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
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世たと伝え、当藩独特のもので槍を防ぐに適したという。騎士以下必ず学んで床机廻を護衛した。夢想流、神流俸、天音(思)流棒。近捕手術第4編その他の武術つ〈ぼうさすまたそでがらみ〈さりがま三つ道具(突棒・刺文・袖揚〉、長柄、小鎌、鎖鎌の類を主とし、足軽たちが稽古所外で各師家について学ぶ者があった(文武取調室田写、続実録、巻之十九〉。初めは主として嫡子が入学し、二男三男は随意であったが、後に就学が仕籍に入る必須条件となったために、藩臣の子弟はすべて入学し、文武兼学で消帳(除籍)を許されないうちは、山や川に遊猟することも禁じられた。ただし遠方の諸土はそのきんぼう近傍の師家について学習し、師家の証明があれば仕籍に入り勤務に就くことを許された。小給以上は、文学(儒学〉・兵学・弓・馬・剣・槍を必ず学び、中小姓・徒士は文学・剣術・長刀を兼ね学び、足軽以下も無筆無算は仕籍に入ることを許されなかった。修学年限行習斎には七、八歳から一一歳までに入学し、規定の試験に合格しなければ消帳は許されない。不能者は武術一流上達でかえることができ、世襲の家業のある者は、二五歳以上になると、願いによって消帳を許さーた。規定の試験に合格した者は著察斎に進み、学業武芸とも成業の見込みのない無能力者は、小給以上は二O歳、それ以外は一六歳を退斎の時期とした。著察斎ではその能力に応じた自発学習で、一般的には、毎月六回講書を聴き=一O歳を退斎の時期とした。勤務の場所、内容などにより修業の暇のない者は、特に願い出てその勤務期間中消帳を許される場合がある。248寄宿寮が設けられてからは寄宿生は著察斎に出席して学習した。また成績優秀な者は、江戸や京、大坂に遊学の道も聞かれていた(文武取調書)。試法行習斎では三事試という試験が行われる。ω句読(専用ω筆道ω背請の三事である。験号玄白冗;\ノω勾読(素読)試験毎月二回、毎回一科、各科の初中後の三か所を助教が読ませる。句読師を置くことになってからは句読師の職分。。五経を読むに至らない者小学五科、大学一科、論語四科、孟子四科、中庸一科、近思録四科。五経を読む者小学二科、大学・中庸一科、論語一科、孟子二科、近思録一科、詩経三科、書経二科、易経二科、春秋一科、礼記四科国学科を設けた後は、等外・下等・中等・上等の四局に分けて行う。。等外生(八科)たまぼこなおびのみたま玉鉾百首一科、直日霊一科、孝経一科、小学内篇二科、小学外篇科。下等生(一三科)玉鉾百首・直日霊一科、神代正語三科、神代葦芽三科、孝経・小学内篇初科一科、小学内篇末科一科、小学外篇二科、大学・中庸一科、論語二科。中等生(六科)玉鉾百首・神代正語一科、直日霊・神代葦芽一科、孝経・小学内篇一科、小学外篇一科、大学・中庸・論語初冊一科、論語二冊目から