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概要

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午後一、001三、OO習字午後三、001五、OO漢籍(習礼・算術は別席にて隔日開講、生徒は輪番交代して業を受ける〉。課程漢籍だけの時代にも変遷があり、国学科開設以後でも変更があるが、明治三年=一月規則改正以後は次のとおりである。堂記録、学制部)行習斎の諸生を四局に分ける。て等外生直日霊(明倫一、下等生一、中等生神代正語一、上等生しゅうい古語拾遺易経玉鉾百首右素読及第の者小学内外篇この四部未終の者孝経あしかぴ神代葦芽大学論語中庸以上五部及第の者万葉集巻一、二祝詞正訓歴朝詔詞詩経書経高鍋藩の教育春秩以上八部素読及第の上質講の者(教授助教の議室田出席の者)著察斎は行習斎で素読・小学講義を卒業し、試験に及察斎第した者が十五、六歳で入り、みずから講読したり、人と会読したり、教授への質疑も自由にし、典籍も、経書、史書、諸子、詩文集など欲するに任せ、あらかじめ科目を設けない。教授・助教などは、五、十の日を教官会議の定日として学事を協議し、一、六、著二、七、三、八、四、九の日午後三時から漢籍の講義を行い、学生はその聴こうと欲する講義を選んで聴いた。後に国学科が設けられてから第5章は、次のとおりに改められた。講書国書の日教授一の日教授六の日助教八の日助教漢籍輪国講書、六、一一一、一、七、五、十の日八の日漢籍文会(和文漢文)毎月十五日輪読を廃す詩歌会毎月廿八日輪読を廃す書会毎月二日学校創立後も文武兼学で、従来の稽古所では武芸の稽古が行われた。武で土台;z:;:兵学弓術越後流長沼流後に西洋流騎馬以上(給人、小給)の子弟は日置流雪荷派、それ以外は印西流。馬術大坪流、調息流。禄百五十石以上の藩土は乗馬を持たねばならなかった。毎年飼料大豆三石六斗以下を支給された。種田流、騎馬以上。それ以下は希望者。嘉、氷の初め、筑後柳川加藤氏の大島流が取入れられた。雲弘流、心影流、大石神影流、津田一伝流、示現流、淵水流、武備志流。元治二年九月、流派が多くかえってふるわないため、大石神影流、津田一伝流を当藩流としその他を廃した。足槍術剣術軽では大示現流(俗に御家流)を学ぶ者があった。砲や|守中嶋流、武衛流、自得流。元治二年九月西洋流を当藩流としそのほかを廃した。柔術宝山流、揚心流、笹下流。がっさん月山流長刀(福嶋の山崎徳入が飯笹流大身の槍を学んで自得し247長万