ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
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世書き控え、合点のいかないところは得心のいくまで幾度でも質問する。諸礼は日用の礼儀につき稽古し、平日も立ち居ふるまいに気をつけ、年のしめ始や始業式には、小給以上は畏斗目麻上下、中小姓以下は服紗上下を着用する。しかし綿服でも差し支えはない。一蓄の開講または終了のときも肩衣(上下)を着ける。素読・手習のときはもちろん普段も高声や無用の雑談は慎しみ、士にあるまじき卑劣な話や政治向きの話、人物の評判などは避けなければならない。昼食のときは礼儀正しく、茶をくむときも互いに譲り合い、たばこは休中でも十四歳以下の者は吸ってはならない。おおむね午後三時終業、書物や机は整頓してしまい、教授助教の許しを受け一礼して退出する。途中で諸土に出会ったときは、その身分格式に応じ手厚く礼儀を尽くす。言葉遣いは特に注意し、諸生の中で年長の人や周年の人には何兄と呼び、年少の者は何生と呼ぶ。心安く親しい間でも「おれ」「お前」と呼んではならない。保正は行習斎諸生のうちから吟味して選び諸生の世話をさせる。格別不行儀、無精で指図に従わぬ者があれば、教授助教に申し出る。年始、五節句、索、著、朔日、十五日などには礼服を着用し、父母兄長を拝し、親類ならびに教授助教、そのほか武芸などの諸師範頭取などの自宅へ至り手厚くあいさつを述べるのが恒例であった(行習斎規)。。教科行習斎の教科を学習順序に挙げると次のとおりである。孝経、小学の内篇、外篇、大学、論語、孟子、中庸、近思録、詩経、書経、易経、春秩、礼記、以上の素読と、孝経と小学内外篇の講釈、外に礼式、書道、数学の指導が行われた。近第4編玉E明鉾T治百二首年直E一日2八霊日神伊代,~国正品三五弓子ロて科翌蓄量f?部ぷて台、らは;祝詞正訓、万右のほかに古語拾遣、葉集巻一、巻皇典文葉。礼式初めは三、八の日、午前九時から正午まで配膳・配酌を希望に従って教えたが元治二年六月、生徒が増加して行き届かず、国学科設置後は隔日となった。小笠原流と武家礼節御家流の二派があった。刊し争‘aJo習字初めは三、八の白以外は毎日午前中を習字の時間とし、法帖によって習熟し、一、六の日に清書して師家に提出した。書は各その好むところに任せ、俗様・漢様・真・行・草も問わなかった。国学科開設以後は別表のとおり。。算法。初めは三、八の日に十四歳未満の者に珠算の指導を行ったが、生徒数が増加してからは隔目指導となった。更に文久二年(一八六二)、奥村直五郎が因州鳥取藩の大枝燕斎から関流算法の伝授を受け、慶応三年(一八六七)十一月から行習斎でこれを指導することこなった(関流算法算書内篇序)。。登下校時刻卯上刻(午前六時)朝読み(素読〉辰中刻(午前九時)登校、未中刻(午後三時)退出。国学科が設けられてからは、時間数が増加したため、申刻(午後五時)退出となった。。授業時間午前九、001一二、OO習字午後一、001三、OO復読(素読)但し三の日三ニ・一一一一)八の日へ八・一八)/一二ニ\/二八\午後一、ooj三、OO習礼・算術講書一一・七の日(仁二仁一二仁)午後三時以後助教の講義を聴く。四・九の日(畑一一畑二一畑)午後三時以後教授の講義を聴く。。国学科設置以後午前九、ooj二一、00国学246