ブックタイトルac_cho_0007_takanabe
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明倫堂記について留意すべき点をいくつか挙げ思想て見る。明倫堂記は種茂の作であり、明倫堂における教育について述べているのであるが、それは藩主種茂の政治についての考え方に基づくものである。その願望する理想境を描き、そこに到達するには教育はどうあるべきかを述べているのである。世近第4編明倫堂記に見える穫茂の当時、(高鍋高校〉つの藩はつの国家であった。明j青観公秋月種茂碑倫堂記に見られる種茂の理想境は「君臣各ヒその道を尽ヲ修メテ事ヲ立ツルコト無クシテ治平ノ功ヲ致ス能ハザルナリ。是ノ故-一治道ハ賢才ヲ得ルヲ以テ本ト為ス。市シテ学校ハ則チ人材ヲ成就スルノ地、治平ノ要コレヨリ大ナルハナシ。人材既一一成リテ賢者其ノ位ニ居リ、能者其ノ職一一任、シ、上ハ君ヲ正シ、下民ヲ愛シ、君臣各其ノ道ヲ尽サパ則チ国人観感シテ興起シ、日日善一一遷リ、外おちか扉ヲ閉サズ、道一一遣チタルヲ拾ハズ、唐虞三代ノ治其レ庶幾カランヵ。鳴呼、斯ノ堂ニ学フ者、コレヲ敬ミ、コレヲ勉メヨ。怠ルナカレ、荒ムコトナカレ。安永戊戊(七年)仲春二十四日、学堂落成しるス。名ヅケテ、明倫堂ト日フト云フ。大蔵種茂謹ンデ一記ス。242さば則ち国人観感して興起し、日々善に遷り、外扉を閉ざさず、道に遺ちたるを拾わず」という社会であり、国家であった。種茂は王道楽土を心に描いていたと思われる。そこに至るためには、「君の心身正しく、輔佐するに人を得、あらゆる職務に適当な人物を得るを要する」と考え、「百職、その人を得ざれば、則ち政を修めて事を立つること無くして、治平の功を致す能はざるなり」と記している。家老、奉行などの指導層の人々ばかりでなく、どんな職務の者でもその人を得ることが必要ふ言、いふAJhソト'であると言っているところに留意すべきである。それは種茂が「郷関学規」を作り、「郷聞学規聖語国字解」を作って庶民教育を行っていることとも関連する。理想国家の実現には、賢才を得ることが根本であり、学校はその人材を成就させるところであった。すなわち、教育は国家を治めるうえの最もたいせつな事業である、という考え方であった。そして学校教育の目標は、明倫すなわち人倫を明らかにすることにあった。人倫とは人と人との秩序関係であり、人のふみ行うべき道であり、現代的に言えば人間としての行動規範と言ってもよいであろう。種