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概要

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世安永七年は種茂三六歳、みずから明倫堂建設の主意目的を述べ教育の精神を示したのが明倫堂記である。「明倫堂」「行習斉」「明倫堂記」参照)明倫堂記近「著察斉」第4編(口絵、明倫堂記の要旨古来政治は教育を先とする。教育の目標は人倫を明らかにすることであり、政治の根本は風俗を正し賢才を得るにある。風俗を正し賢才を得ることは学を建て師を立てることによって初めて達成し得る。師学立ち教育成れば、賢者がそれぞれの部署に就き理想の政治が実現するのである。祖父種弘は城中に稽古所を設けて学問武芸を勧め、父種美はその志を継ぎ、かつ日向は西に偏しているから、学術に欠陥があってはならぬと、有為の青年を京師に学ばせた。自分も不肖ながら、千子らの勧めにより学校を造立し、小学大学を設けた。学校では朱子学によって教育す明倫堂記月種テヲタルユヲストキヲケタリ古之王者建ν国君v民教学為v先。唐虞置ニ司徒典楽之官二三代設ニγテノハスヲチナラ小学大学之制一。而其所訂以為v教則不ν外ニ乎人倫日用孝弟忠信一。ジテニタシマハリトミテキヲレト是故舜命v契目、百姓不v親五品不v遜。汝作ニ司徒一敬数ニ五教一v在タケテヲテフヲカニ丸山庁ヲト寛。孟子目、設コ為犀序学校一以教ν之、皆所割以明ニ人倫一也。夫先ムルヤヲテシヲルヲヲス王之治二四海一也、以下正ニ風俗一得中賢才上為v本。正ニ風俗一得ニ賢才一ルテヲアルニヲシチレパチリ之要在ニ於建v学建v師-而己。葦師学立教育成、則賢者在v位、能者リテユカニニシム在v職而人倫明ニ於上一小民親ニ於下一。此先王之所割以致ニ至治一也。予ノテリキハムルヲヲユテセリ大父長州傘君、創為ニ土子爆v業之室於城中一、以勧コ勉文芸一失。グ-一ヲギノヲベノヲエロンシテヲテキヲ及ニ厳君嗣v位継ニ其志一述ニ其事一、更選コ論教授一以導ニ土子一、支コシテヲテフユカラ給銭穀一以備ニ費用一、時時親視ニ文芸一、察-一其勤惰一而勧コ懲之一'ルヤノスウへキロウニジテハランコトヲムヲツテ会。又恐=一斯邦西l廠僻l陣学術或有ニ謬誤一也、使下有志之士tk茂る。学聞は己のためにし、人のためにするものではない。教えにしたがって段階を踏み、半途で廃することなく、いたずらに高速に走らず、卑ようてい近に滞つてはならぬ。治国の要諦は、君臣一体で国を正しくすることである。すべての職務にそれぞれ賢才を得て政治を行えば国は治まる。ゆえに治道は賢才を得るのが根本なのである。学校は人材を成就するの地、人材がその部署に就けば、風俗は改まって善に選り、一扉を閉ざさなくても盗む者はなく、道に落ちた物を拾って着服するような者のいない理想国家が実現する。教育の目標はここにある。この学校に学ぶ者は、この精神を体し、勉めて怠ることなかれ。安永七年二月二十四日、学堂落成の目、明倫堂と名付ける次第である。その全文と訓読文を次に記す。240明倫堂記(訓読書下し文)秋月種茂古ノ王者国ヲ建テ民ニ君タル、教学ヲ先ト為ス。唐虞、司徒奥楽ノ官ヲ置キ、三代小学大学ノ制ヲ設ケタリ。而シテ其ノ教ヲ為ス所以せっハ、則チ人倫日用ノ孝弟忠信-一外ナラズ。是ノ故ニ、舜、契一一命ジせいしたがテ日ク、百姓親シマズ五品遜ハズ。汝、司徒トナリ、敬ミテ五教ヲ1レ予4'F&叶ソ,ドレ‘敷キ寛-ニ一在レト。孟子日夕、厚序学校ヲ設ケ為リテ以テ之ヲ教フ。皆人倫ヲ明カニスル所以ナリト。夫レ先王ノ四海ヲ治ムルヤ、風俗ヲ正シ賢才ヲ得ルヲ以テ本ト為ス。風俗ヲ正シ賢才ヲ得ルノ要ハ学ヲ建テ師ヲ建ツルニ在ルノミ。蓋シ師学立チ教育成レバ、則チ賢者位ニ在リ、能者機-一在リテ人倫上一一明ラカニ、小民下ニ親シム。此レ先王ノ至治ヲ致セル所以ナリ。77ガ大父長州傘君(種弘)創メテきわ土子業ヲ建ムルノ室ヲ城中-一為リ以テ文芸ヲ勧勉セリ。厳君(種美)