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概要

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冨太郎善四郎善五郎(注)都合は高鍋藩独特の役名で、特定の任務の長官をいう。大都合、仲(中)都合を置く場合は大都合が長官(家老)、仲都合または中都合(奉行)は補佐役である。稽士口改役は学校の管理者である。八月十五日に建設の大綱が決まり、素読・手習(習字)から指導を始めるために手習の聞を作り、建物は南北流れの長屋で東正面ということで草着工した。十一月、河辺弾右衛門、坂田字平次と財津・千手・山内の三師範が将来の師範の問題を検討し、その養成もして置かねばならないとし、そのせがれ候補者とし大塚七郎治の枠太一郎を京都の宇井小一郎(黙斎〉に入門させることに意見が一致し、これを遊学させることになった。建設工事は順調に進み、学校開設も間近になった安永七年(一七七八)一一月九日、師範および師範頭取の任命があった。同山内貞昌大匠重幾野口同大1!高鍋藩の教育明{命堂祉第5章師範財津十郎兵衛、千手八太郎、山内富太郎師範頭取後藤計土日、森好蔵、柿原藤次郎、荒川栄太郎師範頭取は師範を助け主として素読、手習の指導を担当した。安永七年二月二十四日は待望の開講式であった。開講式種茂の喜びは大きかった。学堂は名付けて明倫堂といぎようしゅうさいちよさっさいぃ、小学校を行習斎、大学校を著察斎と名付けた。講堂の正面には「明倫堂記」と墨色鮮やかに書いた赤味を帯びた板額が掲げられていすいこうた。明倫堂記は種茂がみずから推蔽を重ねて作った明倫堂の教育精神であり教育方針であった。開講式は五つ時すなわち午前八時から行われた。開講式の模様を続実録は次のように-記している。(書き下し文)廿四日、学校普請成就。開講五ツ時、小学校にて千手八太郎小学序を講ず。諸生何れも出席。四ツ時(午前十時)者一頭以上相い詰む。殴様四ツ時過ぎ入らせらる。者頭以上御目見え。大学校に於て財津十郎兵衛、千手八太郎、山内冨太郎、大学序、順々に講ず。O御城に於て、学校御建立御祝。御雑煮、御酒、御吸物、者頭以上しまいへ下さる。終って御納戸(の間)に於て橋本源蔵(能役者)仕舞相勤む。尚又、御酒・御吸物下さる。のしめかみしもふ〈さO学校へ相詰め候役人中初め、小給以上製目上下、中小姓以下服紗かみしも上下、御普請御用掛並びに稽古改役、学校(師範)頭取並びに開講にて立花(生花)仰せ付けらるる吉田金五衛門、学校御用細工絵仰せ付けられ候者、棟梁諸職人、廉の屋敷番人まで御祝下さる。(続実録、巻之四)種茂の喜びの様子が自に見えるようである。それだけに、明倫堂の教239育に対する期待も大きかった。