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概要

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一物袋地八千九百八拾八軒和紙に縦に墨書してある内容を表示したものである。原資料には、ろいろなことを示してくれる。O第8表は、最も時代の新しい資料であるが、詳細に記載されていてい四、000人程度と見てよいであろう。これらから見ると、元禄j享保ごろの高鍋藩の人口はほぼ三万人i一一一万での約一00年閣の増が四、000人、一年にわずか四O人増である。均人口は三万三、一四五人弱である。また、享保二十年から弘化元年ま二年j享保二十年のうち、享保十一年、同十七年を除く約三0年間の平江戸時代の人口は、ほぼ横ばい状態であったといわれる。第7表宝永口調べを収録したものである。O第7表は、木藩実録、拾遺本藩実録、続本落実録に記載されている戸してみたい。については資料が乏しいので、中期における高鍋地域の戸口状況を考察右の三資料についてはいろいろなことが読み取れる。江戸時代の初期シ」。宝麿六年(一七五六〉の士分の地域別階層別人数表・給地高表な文武職制戸口租税等調」のうちにある「惣竃人別改書」。明治二年十月、版籍奉還後、高鍋藩から弁官に提出した「高鍋藩の戸口調べ。第4編「本藩実録」「拾遺本藩実録」などの実録類に記載されている藩近的な点を見ておきたい。すなわち、地域別の人口を知ることができない。次に三つの資料を挙げ若干の特徴世と給地高か。藩政時代の人口資料は乏しく、特に藩政の初期の階層別人口身分制度による各階層の人口はどんな状態であった第8表明治2年高鍋藩階層別人数表惣寵8,988軒惣人数43,084人三代徒土,二代徒士,一代徒土は諸土に入れるJ組奉外公以下人19'寸ーl5e11<.:1:八"1被浮世官人18口は:1小7J-+-ヱ1附円八'\1メl二ヨh言ト東児1汗数413 858 99 72 750 2, 451 735 307 5, 685itJヨ人数1, 996 4, 278 313 357 3, 189 12, 984 2, 967 1, 355 27, 439主也男9432, 1471851871, 6826, 6331, 48968913, 955j~女1, 0532, 1311281701, 5076, 3511, 47866613, 484f;'t\[県向島ぷIコ>-軒数。29 7 2 14 277。。329人数。131 17 13 61 1, 001。。1, 223男女。74 11 8 26 537。。656。57 6 5 35 464。。567車T数21 426 38 66 41 1, 922 372 115 3, 001人数101 2, 006 45 328 197 9, 449 1, 764 552 14, 442男54 1, 080 42 174 110 4, 838 933 316 7, 547女47 926 3 154 87 4, 611 831 236 6, 895軒数4341, 3131441408054, 6501, 107422(8, 988)人数2, 0976, 4153756983, 44723 4344, 7311, 90743, 104(43, 084)男9973, 3012383691, 81812, 0082, 4221, 00522, 158女1, 100 3, 114 137 329 1, 629 11 , 426 2, 309 902 20 , 946208