ブックタイトルac_cho_0006-3_takanabe
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世だじゅうぶんではなかった。行政制度も早く整備されねばならなかった。また当時の財政の基礎は農業生産に依存していたため、農業政策は藩政の中心課題であったにもかかわらず、まだその方策はじゅうぶんに立っていなかった。種政以後の藩政の目標も当然そこに置かれねばならなかった。行政制度の整備も、農政の充実も短日月にできるものでなく、永い期聞を要するものであった。近第4編第四節行政制度の整備身分制度と職制藩政時代は身分制度の時代であった。その身分制度は極めて厳格なもので、個人の意志や努力で変えることのできないものであり、あらゆる階層の個人についても、あるいは集団社会においても、その基底をなすものであった。初代種長、二代種春のころまでは旧来の遺風を受け継いでいたが、三代種信のころに整理され、更に後年永い年月にわたり種々の改訂が加えられたと思われる。御連枝は別格として、士農工商のうちで武士が最高の身分であるが、武士にもいくつもの階層があり、極めて厳しい区別の下に日常の生活が規制せられていた。階層は世襲される家格である。家格は一定の社会的地位を示す家の格式であった。高鍋藩の階層を示すと次のとおりである。付御連校。諸土同組外帥町人・水主身分と家格伺奉公人伺浮世人付百姓御連枝藩主の一一族で諸士以下とは別格に待遇せられた。きゅうじんこぎゅうちゅうどしようかち諸土武士には、給人・小給・中小姓・徒士という四つの家格があり総称して諸士という。家格に応じて役職が定まり、家格と役職に応じて禄が給せられる。ω給人古くは騎馬とも馬廻ともいった。大約一OO石以上。後枇は六O石程度の者もある。給とは職務に供給する意ともいう。家老、用人、奉行、大目付、者頭は給人格でなければ任命されない。後世は功労によって給人に昇進した者もある。席次は家老の嫡子は給人上席で、そのほかは禄高順、同禄の場合は先任順である。給人邸の外壁は延宝四年(一六七六)白壁の土塀に改められた。tコ付200こしようω小給大約五O石以上。もとは大小姓といった。小姓は属従の借字で、落主に属従する意であった。延享三年(一七四六)その発音が将軍職を退いた者を大御所というのと通ずるところから遠慮して小給と改めた。席次は、用人、奉行、大目付の嫡子は小給の上席となる。功労によってその者一代だけ小給に昇進した者は終身または一代小給といい、世襲小給の次となる。一代小給の次が小給無息。無息とは無足の意で知行の料足(実禄〉がない意味である。いずれは家督を相続することを公認されている嫡子を指す。かみしも給人、小給を上士とし、公式の礼式には格子模様の上下を着やりけ、騎馬で槍を持たせ、若党二人(小給は一人)が帯万して従うかた智ねつぎかみしもところから騎馬以上、槍以上ともいう。平日は肩衣(継上下)を用い、他藩の人に応援するときは絹服を着けた。藩内においては家老と同席することができ、他藩に出たときは執政と応援するこ