ブックタイトルac_cho_0005-3_takanabe
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御馬を早められ候ヘハがんじゃくの城下丸山と申小山江御馬を被上候御ふくへ(秀吉の馬印は門的判与を被立候担御旗本衆打続御馬印を見掛海道ハ一面に御人数なり御人数続き申体見下候に金銀のさし物金の御のぼり見渡候日の頃ハ朝一丈許も上り候時分なり椎樫の木の葉に露たまり候に朝日の光金銀のさし物色にうつろひ木の間より雲すきに見下し候ヘハ色々の花など散ごとくにして、と、思い思いのさし物を身につけて、岩山を攻め登るつわ者の様を描写世近第4編している。城兵もよく戦い、終日抗戦したが衆寡敵せずことごとく戦死してしまった。ていはっそうぎん種実はこの年正月隠居して家督を種長に譲り、入道剃髪して宗聞と号し大隈城に住んでいたが、巌石城の溶城を知り、城を聞けて秋月へ逃れた。秀吉は直ちに大隈城に入り、使いを古所城の種長に遣わし、誓紙を出して降和するように勧めた。種実・種長は勢いに抗し得ないことを悟り、四月三日大隈城へ至り降を請い、名器齢姑の厭館の茶入と国俊の万を秀吉に献じた。許容されて古所山城に帰り、五日に古所城は生駒雅楽郡親正へ引き渡し、古所山の献r川の里へ移り、やがて支配下の二一城を引き渡した。その城は次のとおりであった。筑前国三笠郡宝満ケ岳城岩石城鎧ケ獄城穂浪郡笠城ノ城)内は城主(内田四郎右衛門)(隈江越中死後桑野新兵衛)"(権藤蔵人)(野津手石見)鞍手郡竜ケ岳ノ城つるぎ剣山ノ城夜須郡弥永ノ城片山ノ城上座郡白おか邸ノ城(内田善兵衛)池田山城マタケ城長尾ノ城鵜木域筑後国生葉郡長瀬城井上ノ城妙見岳域三原郡三原ノ城竹野郡麦尾ノ城嘉摩郡(坂田蔵人)(重松駿河〉(隈江伯者)(一竹山ニ作)(中元寺左近〉(野津手讃岐)(木村甲斐)(日田近江)(日田近江)(私月治部)(星野伯番)(板浪左京)(星野右馬)フキヤウ岳城(坂田内蔵助)山口城(大坪甚太郎)フタマタ岳城(吉瀬伊賀)(税田民部)152(本藩実録、巻之二)