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概要

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古代・中世第3編財部土持氏日向記に、八条院領から天竜寺領と墓なっていた「院の御庄二一ヵ所」が、康暦元年、伊東祐重と土持氏に宛行われたとしている。「天竜寺領を破テ日向園人伊東・土持家に宛行持レシL一二か所の中に「倍木(日置)土ハ財部肢」とあり、倍木三O町も財部氏の支配する所となっている。この「財部殿」は、土持文書や次に述べる財部土持氏の系図からみて財部土持氏と考えてよいであろう。財部土持氏については、伝えられる系図が少ない。貞享四年、高鍋落土持兼綱(性海金公〉墓碑によって作られた「寺社帳」の中の「高鍋大明神」の箇所に、一本がみられ、また「養国山大平寺」の項にその過去帳として記載されている。」の二か所に記されている内容は、「高鍋大明神」の箇所に「此御神者、人王十九代反正天皇末葉田部姓土持家ヨリ一一一十一代後胤」として、土持玄蕃允田部直綱(法名覆山蔵公)以下七代の人々をあげていて、高鍋大明神は代々の土持氏が崇敬する氏神であったことを示している。そして、この系図には、田部直綱を祖とし、「臆安五年、財部城主財部大明神崇敬御神三百三十九年戊子年迄」とあり、いくらか意味不分明な箇所もあるが、応安五年当時の財部城主が田部直綱であり、大明神を崇敬し114ていた。財部土持氏系図(貞享四年(一六八七)高鍋藩寺社帳所収)高鍋大明神(中略)(ママ〉此御神者人王十九代反正天皇末葉田部姓土持家是ヨリ三十一代後胤土持玄蕃允田部直綱也法名覆山蔵公応安五年財部城主財部大明神崇敬御神コ一百三十九年戊子年迄親綱金!財陽|部朝1:太公|郎河守朝綱財部甲斐守長朝栄公興綱太l財宗|部綱|太公|郎権守財部三河守兼綱性海金公菖蒲池天神宮財部太郎権守延徳三辛亥十一月廿八日崇延徳=一ヨリ享保五年迄二百三十一年嘉吉三壬成年三月十二日武綱花翁栄文安三丙寅年五月廿四日一財部左エ門尉「|高綱Illi---梁山棟公六代目没落寅年太郎惟綱氏神宇佐八幡宮両稲荷幕紋亀甲内柄塔左桧扇子竹丸二引購艇フシ相印土持氏と財部この直綱の「応安五年(一三七二)」は、さきにあげた「康暦元年(一三七九)」や、それよりさきの「延