ブックタイトルac_cho_0002_takanabe
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俵岬慣,1一~小坂丸本1冨~地形・地質富田川水谷原第2章m l7~E蚊ロ,需中-F目、hfT「…/川rllfa式+ttczの西断(rまAA面)たをとみ南本る北H汀と(rの、B B ':;;:'、dノJ不ι第4図のとおりである。水平面に対して垂直面を一O~ h倍に拡大して示したが、三方を台地に固まれ、東方が日向灘に聞かれた低地が中央に位置しているのがよく分かる。地形断面図と呼台ば地れは、ー寸低只地¥ぱとl耳、るし一境する急な斜面には、杉その他の樹木が茂りあたかも低い山地のように見える。しかし、斜面を登りつめると緩やかな起伏を持った平地が広がり、畑地と集落が展開する。第5図にみるように、茶臼原(二ニOから一二OUU、牛牧原(三財原、九Oから八OMU、水谷原(新田原、七Oから六OUU、雲雀山(五Oから四Oいじ、川南原(七Oから五OUむなどは平坦面のよく保存されている地形である。これらの海岸段丘は、高さやつくられた時期は違っていても、第四紀洪積世にできたものであり、洪積台地と呼んでいる。この洪積台地が日向の最初の生活基地であったことは、点在する古墳が何よりも明らかに物語ってくれる。しかし、現在は町人口の九・七%(昭和五十五年調査)が住んでいるにすぎず、大部分は小丸川の働きによってできた沖積平野の低地に住んでいる。町の北部と南部は、台地が海岸近くまで伸びて波の働きで削られてできた海食崖を形成し、その下を国鉄日曲一旦本線が走っている。南部では国道一O号線も鉄道に平行して走っているが、北部では一O号線は台地上に昇っている。崖の東部には少しの耕地を挟んで、松林を乗せた砂丘が延びている。第6図は、土地分類基本調査(昭和五十九年、宮崎県)の傾斜区分図の一部を示したものである。7