ブックタイトルac_cho_0002_takanabe
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第三節高鍋と植物(なでしこ科)が町花に指定されたのは、昭和四十九年のことである。万葉集に山上憶良が、秋の野に咲きたる花をおよび折りかき数ふれば七種の花萩の花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝顔の花と詠んでいるように、ナデシコは秋の七草の一つである。また、高鍋城主秋月家の家紋にもなっている。花弁は五枚で、山野の乾いた土地に生え、河原に多いのでカワラナデシコともいう。似た種類に中国に自生しているセキチクがある。これをカラナデシコと呼んだのに対し、日本に元来あるものをヤマトナデシコ町花ナデシコ本町のシンボルとしてナデシコと呼ぶこともある。夏から秋にかけて淡紅色の花を咲かせ、野生の花とは思えない優美さがある。菱モクセイ(もくせい科)が町木に選ばれたのは、昭和四十九年である。中国原産町木モクセイ責リ秋月家家紋で庭園によく植えられ、高さ三い川以上にもなる。十一月ごろ特殊な芳香を発する白色の花をつける。そのためにギンモ物第28図クセイとも呼ばれる。樹型が美しく、庭木として高く評価されている。三つなでしこ植第5章ぐみぽる蚊口浦字茶英原に遺跡がある。昭和十四年発行の「日向郷土読本」には、安永十年に記された源信義の文に「其木回り丈にあまり、枝葉四方にたれてみどりにちとせの色を顕はす」と述べてある。また、その文の注に「一五本の松が群生している。そのうち、南方の隅にあるのが第二代目の琴引の松である。初代のものは、五O余年前に枯れてしまった」とある。源重之の作といわれる次の歌が、碑に刻まれている。しら浪のよりくる糸ををにすげて風にしらふることひきの松琴弾の松終戦後の打ち続く台風や、マックイムシなどのためか、今はその姿はない。宮田川に架かる「二本松橋」と、雲雀山に接する「二本松」の字名としてその名が残っている。昭和七年発行の、児湯郷土地理資料に、次のように述べられている。「市街の西南方に高く釜えた二本松は、大抵のところから見ることができる。高鍋の土を久方ぶりにふむ時、誰もが第一に自にし、心一一本松に浮かべるのはこの二本松である」旧城内の舞鶴神社境内の約五M川の崖上の台地に立っており、吉岡さ約三五M川、根回り一0・三M川、目通り幹回り一OU川余り、地上約一・六U川の高さから南北に二支幹に分かれた巨木である。昭和二十六年六月に、天然記念物の指定を受けてい-G。高鍋の楠美化条例と樹木宮崎県は、他県に先がけて「美しい郷土づくり」を手がけてきた。土木工学の中に修景工学がなければならないという考えを、土木行政に定着させた本県独自の県沿道修景美化条例が、昭和四十四年に制定された。沿道自然景観地区等の指定状況は、本町関係で次のとおりである。45