ブックタイトルac_cho_0002_takanabe
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ついては変動が激しく、必ずしもじゅうぶんではない。汚濁の原因としては排水が主なものとされているので、今後の公共下水道の整備等の対策が望まれる。小丸川沿岸の沖積層の厚さは薄く、河川敷下や旧河道の地下水である伏流水の利用できる地帯が分布してい一井当たり毎秒五OOから一、000立方い川の実績も知られており、現にT工場でこの伏流水が利用されている。宮崎層群中に挟まれる磯層は、高鍋駅付近で帯水層となっていて唯一の被圧地下水であるが、水量は期待できないと宮崎県地質図説明書にある。地下水る。第8図は、五万分の一地形図上で判読できる凹部を、谷として作りあげられた水系図を土地分類基本調査(宮崎県、昭和五十九年〉から示したものである。第四節地質の概要宮崎県の地質郷土の地質を知るために、県全体の概要を宮崎県地質図説明書から要約したい。本県には、古生代のシルル紀(四億三、五OO万年前〉以降の地質時地形・地質代の地層や岩石は、石炭紀を除くほとんどすべてのものが分布しているといわれている。その地質構造は西南日本外帯と呼ばれる部分に位置し、特有の帯状構造を示している。かとうがん日本列島の基盤といえる花山岡岩や変成岩がある。古たいせきfょうかいがんけつ生代シルル・デボン紀に堆積した古生層は、石灰岩・凝灰岩・砂岩・頁がん岩からなり、祇園山層と呼ばれている。県の北西部には、第2章この地層には、サンヨウチュウクサリサンゴ・ハチノスサンゴなどの化石がみられる。秩父古生層と呼ばれているこ畳紀の堆積物は、砂岩・粘板岩・チャート・石灰岩からなり、フズリナの化石がみられる。県中部では、中生代白亜紀(一億四、一OO万年前)と、新生代古第三紀(六、五OO万年前)の聞に堆積した四万十層群が、広大な範囲をけつがん占めている。その岩質は、砂岩・粘板岩・頁岩・砂岩1頁岩互層を主にした厚い地層である。化石はほとんど産出しない。しかし、古第三紀にしゅラ堆積した南部の日南層群は、砂岩・頁岩・砂岩|頁岩互層からなり、摺きよ〈曲や断層など複雑であるが、貝化石を産する。その後、県北の祖母山火山噴出があり、末期に大崩山などの花山岡岩等の貫入など火成活動があった。県中部の尾鈴山酸性岩類の生成は、中新世後期(一、五OO万年前)である。これらの活動の後で、県北部・西部れきがんは隆起と削剥の時代に入り、宮崎層群の堆積が始まった。これは様岩・砂岩・泥岩・砂岩l泥岩互層を主にした海成層であり、貝類やカニ・ウニ・有孔虫などの化石がみられ、中新世後期から鮮新世末(一八O万年前)のこととされている。この堆積の途上で、霧島火山の活動があった。きすいせい宮崎平野には、入江などで、海水と淡水とが混合した汽水性の通山浜層が点々と露出するが、これは宮崎層群が堆積した後に、陸化して生じた起伏に富む地形を埋積したものらしい。その後で、基盤の段階的な隆起があり、それに伴って数段の平坦面が形成されていくのは、第四紀以降のことである。これらの堆積物は、礁を主とし(一八O万年前)ている。小林市北方が分布北限で、シラスとして知られている流紋岩質軽石凝灰岩を主とする火口からの噴出物の流れが生じたのは、約二万五、000年前といわれる。一方、県北西部にみられる阿蘇火山活動による噴出13